承認欲求の巨塊
ふと「自分って人から注目されないなあ」と思います。
まわりを見ればTwitterでリプライが飛び合ったり、いいねがついたりしているのですが、そういう輪から外れているような感覚です。
確かに小中高大と、さほど友人が多くはない存在ではありました。
人気者の反対、日陰者です。
さすらい
それでも環境には恵まれて、教育をしっかり受けることができました。おかげで大学附属の良い高校に入れました。違う道を進んでいたと考えると…どうなっていたか想像できません。
がむしゃらに努力して、大学の学部も良いところを選べました。
サークルについても、音楽的技術と感性を身につける最高の環境に身を置けたと思っています。
そういうバックグラウンドもあってか、就職活動も人並みの時期に無事終えて良い企業と巡り会えました。
偉そうな言い方にはなりますが「だいたい何をやっても平均は超えられる」ような、ひょうひょうとした生き方でこれまでやってきました。
承認欲求
現在はというと日々の暮らしを楽しんでいます。
実家暮らしにぬかるんでいた学生時代では思いもよらなかったことで、料理にハマったり読書に勤しんだりボルダリングなどの運動習慣を身に着けたりと、いろいろできています。
そんな中、なんの気なしにブログを始めたのが数カ月前。アウトプットの貴重な習慣が身に着いたと思っています。
しかし一向に注目されないのが気にかかるようになってきました。
見向きもされないブログに存在価値はない、とは厳しいですが真実ですね。
当然記事の質が足りていない、というのはあるでしょう。
でもどうやってアピールしていけばいいかが見えず、もどかしい気分です。
もとより自己アピールが苦手なのでは、と考えるようになりました。自社製品をアピールできる営業職の人はすごいなあと思うばかりです。真似できません。
ただ、だからといってこれを「生まれ持った性質だからどうしようもない」と諦めたくはありません。
数カ月続けてみて「自分には向いていない」と思ったとして、そこでやめたら凡百の人間で終わります。
普通の人もやることを、普通じゃないほどやるから飛び抜けるんですよね。
まだ何も見えていない真っ暗闇状態ではありますが、当分道を探して歩き続ける決意です。
自己アピールが苦手な自分なりに何ができるか、考えます。
サル真似の終了
こんな感じで本音をさらけ出しつつ、自説を展開するのが私には向いているかもしれません。
どこかロールモデルを探して「こういう記事を書けば読まれるのだろうか」などと詮索していましたが、やめます。
「こういう記事が読まれる」というのは、その記事の書き手にとっては正しいかもしれませんが、書き手が違えば当てはまりません。表面だけをなぞって成功を追いかけるのは誤りでした。
そういえば過去の自分がヒントを示してくれているような気がしました。
こんな動画をアップしたところ、結構色々な反応をいただきました。
称賛があれば批判もあります。「出る杭は打たれる」が身をもって実感できたのもこういう解説動画を上げていたおかげです。
「シンバルの叩き方が悪い」とか「もっと練習してから解説しろ」とか。批判も反応の一部ですから、それすら乏しい今となっては「ありがたかったなあ」と思うばかりです。批判内容にも一理ありますしね。
思い返すと解説動画をアップしたのは「この曲のフレーズは難しいからきっと分からない人がたくさんいるだろうな、解説したら役に立てるだろうか」という動機でした。
単純に熱量をもって打ち込めることを、役に立てたらいいなと思うことをそのまま形にしました。
現在と違うのはこの点だったのかもしれません。
本当にやりたいこと、まだまだ探し続けていきます。