Polyunus

ポリウーヌス(多と一):「日々改善」をモットーに、1型糖尿病患者が多面性を表現し、磨きをかけるためのブログです。

暴露話

アイスブレイク

すっかり前回の記事から時間が経ち、1月が終わろうとしています。

 

記事編集画面の前に座ればタイピングが進むのですが、その画面を開くまでが「なんとなく面倒」という感じでした。まあ、どんな作業・仕事にも同じことが言えると思います。

 

小話

最近仕事でひょんなことから(自分の鶴の?一声から)Webアプリケーションを作ろうという話になり絶賛作成中です。

 

物理ホワイトボードを行動予定表にしている当課。昨年夏に異動してきたときは驚いたものです。異動前の課ではイントラネット上のWebアプリケーションだったため・・・。

 

ところが聞いてみると、今の課の先輩が実はそのアプリケーションを10年以上も昔に作ったそうです。それを聞いて「うちの課にも絶対あれがあった方がいいですよ」と言ったら「作り方教えるから作ってみる?」ということになりました。

※私の本筋の仕事はクラウドインフラ関係です。プログラミングできません。

 

しばらくしてマネージャー=上司にも話が伝わり「せっかくなら実現案を募ってコンペをやろう」→「チーム分けして勉強も兼ねた開発をしよう」と転がっていきます。

 

で、件の先輩には「教える」と言われたものの私とは開発チームが異なってしまい・・・結局別の先輩に教わりつつも、ふんだんに独学しつつ作り進めています。

 

小中学校の頃、メイプルストーリーのホームページ作成に使っていたHTMLの知識のかけらと、ほぼ一からのCSS学習とを合わせることで、モックアップがだいぶ出てきました。

 

ところでなぜこんな話をいきなりしだしたかと言うと、「画面の前に座るまではやる気になれない」エピソードトークです。

 

CSSってずっと苦手でした。ごちゃごちゃしていて見づらいし、目には見えない余白をピクセル単位で指定したりしてややこしいし、IDとかクラスという概念も良く分からない・・・。

 

ですがこの2週間ほどでかなり読み書きできるようになりました。インターネットで実現したいことを調べながら格闘に格闘を重ね、実戦で学んでいきました。

 

最初は余白指定やIDとクラスの使い分けも意味が分からなかったのですが、やっているうちに見えてきました。今ではGoogle Chromeのデベロッパーツール(F12ボタン)を駆使しながらスムーズにスタイル指定できるようになってきています。

 

1人1人の行動予定をカードにして、各自アイコンを載せたり予定を書いたりできるようにするつもりです。カードにマウスを乗せるとアニメーションが発動してくるっとひっくり返って「編集」ボタンが押せたりする仕様です。

 

当初、実現するなんてまったく想像もつかなかったアニメーションやらレイアウトが少しずつ実現していくのはおもしろいですね。「要素を横並びにするのにfloat: left;は古いのか、Flexboxとかグリッドレイアウトって便利だな」みたいな発見を重ねてきました。

 

先週ぐらいまでは不慣れなCSSに気乗りしませんでしたが、それでも画面を開けば少しはひとり実験を積み重ねていました。雪山の頂上から小さな雪玉を転がして、それがだんだんと大きなかたまりになっていくかのような感覚です。

 

少しでも、何か動くのは大事なことですね。

 

本題

長くなりました。今までのが前置きです。

 

何が暴露かって、私が仏教を学んでいることです。このことはこれまで、親兄妹その他親族ぐらいにしか言っていませんでした。

 

shinrankai.jp

 

↑浄土真宗親鸞会という団体です。

 

大学1年から聴き始め、身内にすら暴露したのは3年前ぐらいです。

 

「なんだ、そんなことか」と思った方もいるかもしれません。

 

ですが世の中の目は厳しいもので、批難されることもしばしばですよ(特にインターネット)。オウム事件やIS関連の一連の事件といった凶悪な出来事がそうさせている面も多分にあります。

 

「ダミーサークル」「カルト」「反社会的」「金集め」「危険な原理主義」など。 

 

どこの者とも知らない人の発言であっても、不安を扇動されるものです。聞き始めの頃は警戒心もあって、「本当に大丈夫だろうか」と思ってインターネットを見るたびに不安になっていました。もう人間はそういうものだと思います。

 

 

情報社会だからこそ、一次体験の重要性は高いです。

 

「騙されている」と思う人にはそうとしか思えないのかもしれません。逆に「真実味がある」と思う人にもそうとしか思えません。私は後者です。

 

具体的な教えについてはホームページを見るなり個別に私に聞くなりしてください。文章として書き残すほどの体系的知識は残念ながら備えていません(根本聖典となる教行信証だけでも6巻もありますし・・・)。

 

ちなみに言っておくと親鸞会≠新興宗教です。頭についている「浄土真宗」は飾りじゃありません。そりゃあ、昭和に発足した教団ではありますが、教えの内容は浄土真宗(開祖:親鸞聖人)です。私の両親の実家がともに浄土真宗で、仏壇もありました。そのぐらい浸透して「いた」宗教です。

 

※こう言っても「独自の解釈だから新興宗教だ」とか言い出す人はいます。ああ言えばこう言うものです。「解釈」という言葉の使い方も結構難しいので、一旦置いておきます。

 

もっと歴史ある(≒世間的に名のある)ところで聞けという主張

長年人に言わずに温めていたネタなので、言いたいことはたくさんあります。母親とは月に1回あるかないかぐらいの周期でサシ飲みに行くのですが、結構バトルしてます。

 

かつて「比較のために西本願寺も聞きに行った方がいいんじゃない?」と言われて一緒に築地本願寺へ行ったことがあります。

 

がっかりな世間話・当たり障りのないイイ話が続いているのをしっかりと確認して帰ってきました。

・がっかりな世間話:その僧侶の管轄の寺ではこんな子どもがいて~地域の良いコミュニティになっている~という類の話

・当たり障りのないイイ話:何らかのきっかけで障碍を負った人が、阿弥陀仏の慈悲を感じながら頑張って生きるとかいう類の話

 

教えはおまけ程度、前菜です。まるで僧侶オリジナルの世間話をメインディッシュとして味わわせたいようでした。

 

続いて東本願寺(真宗大谷派)、というよりは大谷大学の学長の話を聞きに行きました(もはや個人特定できるのですが、まあ仕方ないですね)。

 

(上から目線のつもりはないのですが、)さすがは学長ともあって、テキストやプリントがしっかり用意されている講義形式でした。テキストは教行信証。浄土真宗においてはズバリの内容です。

 

輪読したり、解説を聞いたりしながら、まさしく大学の授業のように進みます。

 

内容は確かに高度。西本願寺とは比べものにならないほど教えにフォーカスされています。しかし高度すぎてついていけませんw

 

仏語がバンバン出てくる上に説明がややふわっとしています。「○○のありよう」とか「~~性」みたいな私の苦手な言葉がたくさん出てきて、困りました。

※学長を一方的に責めているわけではありません。仏教の真実信心の世界は親鸞聖人も「不可説」と言われるほどです。それほど言葉にできないものなのです。

 

百歩譲ってすべて学長レベルに理解できたとしましょう。

 

それで、ゴールは何なのでしょうか?

 

「この世をより良く生きましょう」なのか、「笑って死ねたらいいですね」なのか「深い教えが理解できておもしろいですね」なのか、さっぱり結論がつかめませんでした。

 

では、なぜ親鸞会で仏教を学ぶのか

比較は一応したつもりです。浄土真宗の中で歴史ある西本願寺と真宗大谷派の話は聞きました。

※正直それ以外の宗派、宗教については聞いたことがありません。が、聞くまでもないと思っています。「浄土真宗以外は聞く価値が無い」なんて、排他的に聞こえるかもしれませんが、これを曲げるつもりはありません。教えを聞いて自分の腑に落ちた結果です。

 

それを踏まえてなぜ親鸞会なのかというのが気になるかもしれません。

 

大きな相違点は「結論」です。

 

仏教を学ぶ=知識をつける なら興味のある人だけやればいいことです。

 

私は違います。というより、仏教を学ぶようになったきっかけがあります。

 

大学1年、東日本大震災により授業開始が1か月遅れた5月のことでした。キャンパスを歩いていると1人の男性に声をかけられました。

 

「大学で勉強して、就職して働いていく目的って考えたことがありますか?」

 

「いや、・・・無いですね。」

 

言葉に詰まりました。

 

産業時代の(というか今もなおの)典型的な生き方にしたがって、義務教育でもないのに高校→大学と進みました。その先・・・?

 

なんとなくSEには興味がありましたが、SEをやる目的・・・?仕事をする目的・・・?分かりませんでした。

 

「将来について考えるような勉強会をやってるんですが、興味ありませんか?」

 

と問われ、「まあ大学生にもなったし新しいことに挑戦してみようか」という気分で参加することにしました。

※悪意を持って表現すればこれを「ダミーサークル」と言います。

 

先輩に時間を取ってもらい、将来の話→哲学→仏教と、徐々に話が導かれていきます。

 

仕事して、頑張って生きていく目的とは何か?つまり人生の目的とは何か?

 

その答えが仏教にあるというわけです。

 

教えの詳しい部分は先に述べたとおり書きませんが、ここでしか聞けないものがあると思っています。人生の手段(どんな仕事をして、どう生きるか)はたくさんありますし、指南書もたくさんあれば指導者もたくさんいます。

 

ところが人生の目的(なぜ生きるか)の指導者は雨夜の星なのです。藤村操が自殺したのも、芥川龍之介が自殺したのも、この人生の目的が分からず苦しんだからです。

 

結論を述べましょう。「人生の目的があり、それを達成するには浄土真宗の教えによるしかなく、そのことを教えている教団が現状親鸞会しかない」から親鸞会で聞いています。

 

あとは↓こんな↓相違点もあります。

・教え100%:「今年は暖冬ですね~」などの世間話が一切なく、「今日は親鸞聖人の○○というお言葉について・・・」で始まる。根拠(教行信証や御文章、大無量寿経など)が逐一示される。

※時折軽いジョークは挟まれますし、時事ニュースを例に仏教を解説されることもあります。

・老若男女、多国籍の人が聞いている:東西本願寺では9割5分お年寄り。親鸞会も高齢者は多いが、20代も30代も普通にいる。中国、香港、ブラジル、イギリス、アフリカ大陸などからも聞きに来る人がいる。

 

以上のような理由から、「ここでしか聞けない大事なことがある」と思っているわけです。だから本部のある富山県までお金と時間をかけてでも毎月行くのです。

 

正直まわりと比べて生活面ではしんどいです。が、稼ぎを上げるしかないと感じています。

 

親鸞会にはものすごくできる人がたくさんいます。社長や会計士・医師・弁護士がゴロゴロいます。人生の目的を知った人は活力もあるのだなと思います。見習って頑張るしかありません。

 

というわけで、9年ほど隠していたことですがそろそろ面倒にもなり暴露してしまいました。せっかくなので口コミでどんどん広めてください。

 

小話2

構成を練らずに書いたので散漫としていてすみません。

 

ところでちなみに「法鼓(ホウク)」という言葉があるそうで、意味は「仏法。仏法を説くことを、戦闘での進軍の太鼓にたとえ、法鼓をたたくという。」(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B3%95%E9%BC%93/#jn-204483)だそうです。

 

これは・・・仏法ドラマーとして頑張ります!

 

※ネット検索でたまたま発見したものであり、法話では一度も聞いたことのない単語ですw