Polyunus

ポリウーヌス(多と一):「日々改善」をモットーに、1型糖尿病患者が多面性を表現し、磨きをかけるためのブログです。

労働における時間と成果の振り子〜インセンティブはお金か?時間か?〜

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おかしなことに、私が属する裁量労働制の職場において「労働時間が基準よりも少ない場合は、月の後半で長めに働いて調整するように」との上司からのお達しがありました。

 

私個人に宛てられた内容ではなかったのですが、私は「基準よりも少ない」労働時間ですので、まあ対象者です。

 

長時間労働を是正するための、そして成果主義を促すための制度にこんなことがあっていいのでしょうか。

 

我らE(Employee:従業員)クワドラントの衆生にとって、仕事のインセンティブは何か。それが分かれば従業員のモチベーションを引き上げ、成果を引き出すポイントが判明するはずです。

 

勤続4年未満ではあるものの、残業代が支払われる通常の労働制と裁量労働制の両方を経験してきた私が、本件を通して考えてみます。

 

 

裁量労働制の概要

まずは制度概要です。私の会社では漠然と「こんな感じ」というのをお伝えします。

※詳細を話すのはまずそうなので、ぼかします。

 

通常の労働制(以後、私の職場の場合に合わせて「フレックス制」としておきます)では、働いた時間に対してお金が支払われます。

 

毎日の基準労働時間「A時間」が定められており、それを超えて残業すればもちろん残業代が支払われますよね。

 

それに対して裁量労働制ではあらかじめ「毎日B時間働いたことにして、それに見合った給料を支払うよ」という取り決めになります。

 

ややこしいんですけど1日に1分でも働けば勤務日としてカウントできるので、その日B時間働いたも同然の給料を計上できます。

 

私の会社の場合、「B=1.2A」です。

 

つまり極端に言えば会社は「毎日A時間働くフレックス制社員」に対してよりも、「毎日1分だけ働いている裁量労働制社員」に対して多く(120%)の給料を支払うのです。

 

導入目的〜インセンティブの移行〜

裁量労働制の導入目的は何でしょうか。

 

それは冒頭にも書いたとおり「長時間労働を是正し、成果主義を促すため」です。

 

これは何を求めて働くのかというインセンティブの移行だと言えないでしょうか。

 

すなわち、馬が走るのはどんなニンジンを求めてかということです。

 

簡潔に言えば制度とインセンティブの関係はこうでしょう。

  • フレックス制→お金
  • 裁量労働制→時間

 

フレックス制なら、労働者の心理は「これだけ残業すればたっぷり残業代が稼げるぞ」となります。

 

だからたとえ倫理に反していても「今月は経済的に厳しそうだから多めに働いておこう」と考える人が現れるのです。ひどい場合は働いているフリだってできます。

 

働ぐ時間とお金について、「長すぎず少なすぎない」満足できるところを目指して天秤を調整するのです。

 

一方、裁量労働制によってお金の枠を固定化すると、労働者心理は「もらえるお金が同じなら、さっさと帰った方が得だ」となります。

 

フレックス制で天秤にかけていた「時間とお金」にもう一つ、「成果」という視点が加わります。

 

お金が固定化される分、社から求められる一定の成果を上げつつ労働時間をいかに縮められるかが肝となります。

 

問題点

会社にとってはそりゃあ、働く時間が短い人ばかりなのであれば「割高な給料を支払っている」感覚になるのかもしれません。どのみち成果主義に対立する「時間主義」で頭がいっぱいなのでしょうけど。

 

私の会社の場合、裁量労働制の給料は1日当たりフレックス制の基準時間の120%となっているわけです。ということは仮に毎日基準時間の120%働いている人ばかりになれば、フレックス制だろうが裁量労働制だろうが全員同じ給料になります。

 

で、なぜか今裁量労働制の社員に「基準時間の120%働く」ように調整が求められています。

 

これをやってしまうと、制度の目的が顛倒します。なぜならこれが「120%以上働いた分も残業代は支払わない」という単なる「劣化版フレックス制」でしかないからです。

 

この状態では残業代を支払わない言い訳に裁量労働制を振りかざしているかのようです。

 

今こそ戦わなければならないみたいですね。言いたいことは言います。自分の価値を時間で薄めて見るという残念な事態は避けなければなりません。

 

私の時間単価を高めていきます。