「暇」の持つ無限大の可能性
暇…それは日常にふと現れる害のない悪魔です。
きゃつに対する考察です。
情報の取捨選択
先日の記事で、情報をカットする重要性に触れました。
余計な情報を割り込ませないことによって集中力を維持するねらいです。
ちょうど今読んでいる本にもそんな内容が出てきて、具体的な方法を試し始めています。
たとえば、スマホの通知オフ。重要性にもよると思いますが、SNS関係の通知なんてさほど重要ではないことが多いと思います。
というよりも、気がつくと自分から見に行っているわけですから受動的に通知を受け取る必要がないのです。
自らの「チェックしたい」欲に任せて能動的に情報を取りに行きます。
これを進めていてあることに気づきました。
通知がないって、暇なんです。
ちょっとした仕事の休憩で私用スマホを覗きます。すると、殺風景なアイコン一覧がお出迎え。
通知を一部オンにしているLINEは、そもそもメッセージが無いときは通知もありません。
そして「やることがない、仕事に戻ろう」となります。
※アクティブな友達が多い読者ならきっとメッセージで溢れていることでしょう。
暇=自由
スマホを見ても新しいことがない状態…暇がやってきました。
でもよく考えてみてください。暇って素晴らしいと思いませんか?
何せそこは自分の裁量で何でもできる時間帯。活かすも殺すも自分次第なのです。
「そんなのは当たり前だ」と、思うのは分かります。しかし実際に生活を振り返ってみると、私には「なんとなくやっていること」がいくつもありました。
ニュースアプリを開いて愛憎入り乱れる芸能ニュースを見たり、漫然とTwitterを見たり。
もちろんそれらを否定するわけではなく、「それをすることが一番の気分転換になる」といったことなら内容は別に何でも良いと思います。
ただ私の場合は目的もなくやっていたなあと振り返って反省しました。
冷静に見つめると、優先度の低いものが高いものを覆い隠している状態でした。
そこで明確に「やりたいこと」を、突如出現した暇に食わせてやるのが賢い時間の使い方だと考えました。
そのためには自分が今何をやりたいのか、把握しておかなければなりません。いつなんどき暇が通り過ぎても良いように、です。
というわけで現在読んでいる本に書かれているタスク管理、メモの方法論を活用して暇に優先タスクを割り当てる練習に取り組みます。