忘年会~「今年を忘れていいのか」問題~
気温も下がり、急激に年末が近づいておりますね。
先日ラジオを聴いていたら忘年会の話題がありました。
少し立ち止まって考えてみる
パーソナリティは「嫌なことを忘れよう」と言っていました。確かに「忘年会」というネーミング的にそうですよね。
しかし常々思っていたのですが、心がけなくても忘れてしまうのに毎年毎年「忘年会」と銘打って記憶を消す(アルコールの力で短期記憶も・・・)宴会を開くなんて良いのでしょうか。
むしろ少しでも成長すべく「振り返り」「思い出し」が必要なのでは?1か月もしないうちに一年の計を立てるべき時季が到来しますよ。
もっとも、こう言っていられるのは自分自身にとってそれほどの辛いことが無いからかもしれません。ありがたき限りです。
真面目に定義を調べると
ところで「忘年会 定義」とGoogle検索バーに打ち込んでみました。
こんなこと調べる人はあまりいないようで、「忘年会 てい」まで打つとサジェスト機能で「忘年会 定番」と出てきました。
出し物でしょうか。強要されてなのか自発的になのか、いずれにしても一発芸担当の方々はお疲れ様です。
コトバンクで複数の辞書が引っ掛かりました。
精選版 日本国語大辞典の解説によれば、
その年の苦労を忘れるため、年末に催す宴会。としわすれ。
だそうです。
ほかの辞書にも共通しているのは「苦労を忘れる」という点ですね。
忘れる対象は「苦労」限定らしいです。言われてみるまで意識していませんでした。
生産的な会を
こうして考えると「忘年会」とはものすごく前向きな会なのかもしれません。
今年一年どんなに苦労してきたとしてもそれを忘れて、「あれは苦労ではなかった」と思うわけですから。
捉え方によっては「来年こそは努力するぞ」という会になります。
逆に「うまくできたこと」や「成功体験」は忘れる対象外なので、もはや改善しかしようがないですね。とても明るい雰囲気になりそうです。
おわりに
忘年会は、定義上は決して「グチの言い合い」とか「傷のなめ合い」とは読み取れないようになっていることが発見でした。
言葉の意味を離れて人間の拡大解釈が適用されると何が起こるか分からないものです(前向きな忘年会を開いている方がいらっしゃればごめんなさい)。
ところで余談ですが「忘年会」という言葉は江戸時代にも使われていたみたいですね。
(『古今物忘れ』という1772年の随筆)
そんなに古い言葉だとは知りませんでした。あ、これ忘年会のトークネタにどうぞ。