不自然な無添加
一日中、額の中心を撃ち抜かれたかのような頭痛がしています。
…いや、それほどひどくもないのですが、感じる痛みの形容です。
昨日飲んだワインのせいだろうか…などと思案をめぐらせています。
「毎度おなじみの亜硫酸塩に加えてアカシア(安定剤)まで入ってたなあ」
「以前もアカシアが入ったワインで想像以上に酔っ払ったなあ」
などと考え、スピーディーな帰納法によって「頭痛は添加物のせい」という結論が導かれました。
そういえばワインをこれだけ好きになってからというもの、添加物を改めて調べていなかったなと思いました。
ちなみにワイン以外の食品だとかなり気にしています。駅弁探しが大変です(弁当は添加物大国)。何を買うにしてもまず見るのはラベルです。
ワインについてもかつては酸化防止剤無添加のものを選んでいました。
ところがしばらくして、酸化防止剤はそんなに危なくないという情報を目にします。
その頃はワイン自体がよく分かっていなかったので、「確かに本場のワインにはどれも亜硫酸塩が入っているなあ」「むしろ無添加ワインの方が安いのは裏がありそう」というぼんやりした捉え方で亜硫酸塩を受け入れるようになりました。「無添加」にこだわれば高くつくことなんて日々の生活で百も承知ですからね。直感的に、安価な無添加ワインを疑問視し始めたのです。
さて、目が肥えた今になって調べてみると何か発見があるでしょうか。
■大目的を忘れるな
www.enoteca.co.jp
いつもお世話になっているワインショップエノテカの記事を見つけました。
簡単に言うと、以下のような感じでしょうか。
・亜硫酸塩(二酸化硫黄)は自然界に存在する物質。古代よりワイン造りに利用されてきた。
・それどころかワイン造り中に亜硫酸塩が自然発生する。
・品質を落とさないために添加する。
・大量に摂取すれば当然有害だが、規定量なら問題ない。
・味に変化が生じるため、添加量は少ないに越したことはない。
・オーガニックワインなら規定量がさらに厳しい。
そして、終わりの方に書いてあるこの一節が残りました。
しかし添加物の少ない「自然な」ワインを求めた結果、様々な「科学的な」プロセスを経たワインに行き着くというのは少し皮肉ですね。
そもそも生のぶどう果汁を添加物無しで発酵させるんですから、品質維持のために相当無理しないと実現しませんよね。
殺菌のために加熱しているものもあるらしいです。非常に納得。
科学的プロセスが味にどういう影響を及ぼすのか、はたまた安全性はどうかといったことまでは踏み込んでませんが、自然でなくなっているのは明らかですね。
そもそも「美味しくて(そこそこ)安全なワインを飲みたい」という目的にとって酸化防止剤は必要なものなのだなと勉強になりました。
でも味を強化するためのアカシア(安定剤)はやっぱりもったいない気がします。
今度からは亜硫酸塩以外無添加にこだわってワインを選ぼうと思いました。
※冒頭の頭痛と添加物の関係は不透明なまま・・・
意志の見えざる手
仕事のときと私生活とで考え方がだいぶ違うなあと思い始めました。
●仕事
・テキパキ
・ある程度決めた優先順位に従って動く
・人の役に立ちそうなことをする
・割と能動的
●私生活
・気まま
・思いつきで動く
・自分の役に立ちそうなことをする
・だいぶ受動的
こんなところです。
ぱっと思いつくのは家事です。手付かずの洗い物は溜まりますし、乾いた洗濯物も溜まります。掃除だって思いついたとき、気が向いたときにしかしないので計画的ではありません。
一方仕事なら、未処理のメールや事務作業があれば優先順位を割り振ってから逐次処理していきます。こうして行う一連の作業そのものが快感です。デスクはそこそこに片付いており、PC内はさらに片付き度が高いと自負します。
なんせデスクトップはアイコン非表示です。「一時領域」「開発系」「技術情報」など、自分なりのカテゴリに区分してフォルダー整理しており、大体のファイルの置き場所は決まっているので取り出しもそれなりにスムーズです。
能動性も大差ありです。
仕事なら比較的積極的に動いて、業務改善を図ったり勉強したりしています。
その意味では私生活でも確かに本を読んで生活改善は図りますね。しかし人付き合いが特に受動的な感じです。
飲むのは好きですが、めったに自発的に飲みに誘うことはしません。まあこれは性格的な問題でしょう(と、斬り捨てていいのやら…)。
■目標の有無
ところで、このように違いが出てくるのって、目標の有無ではないかと思いました。
仕事なら昇格、昇給という目標があります。自己実現というのもいくらか手助けして、能動的に動ける精神を手にしています。
ヒューマンスキルが活かせたり、技術力が高まるのはそれそのものが嬉しいことですからね。
これが私生活となると、「家事をきちんと行う」とか「趣味を極める」といったことに明確な目標なんて設定していないのだと思います。
それらが卒なくこなせるからといって自分が変わりにくいから、だからこそ逆算して目標を立てるのが難しいのでしょうか。
そう考えると本質的に仕事上の目標よりも私生活の目標の方が圧倒的に立てづらいですね。仕事なら資本主義社会のステータスであるお金を設定でき、しかもこれは目に見えるもので数字ですから目標にもってこいなわけです。
私生活の目標ならお金を一回かませることはできますよね。たとえば家を買う=○千万円用意する、とか。
仮にそうだとしても、「では、なぜ家なのか?」という根本的な欲求まで深掘りして考えなければなりません。
というよりも、順番としては先に「なぜ○○なのか?」が来るんですよね。
価値観に照らし合わせて。さて私ならどんなことを目標に据えるだろうかと考えていますが、あまり思いつかないものです。
来年の目標が「私生活の目標を立てる」になりそうです。
何だか入れ子構造で変な感じがしますが、のうのうと生きるよりハリがありそうです。
悪魔の習慣
大酒飲み・美食家が多いのに長寿大国フランスの医師が教える健康法
- 作者: ミシェル・シム,古谷ゆう子
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2018/10/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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先日本屋で見つけてパラパラとめくってみました。
私はこれまで色んな健康本を読んできたので、正直なところ知っている内容も多々ありました。
しかし、現在ハマっている「ワイン」を彷彿とさせるタイトルにおびき寄せられました。
結論から言ってしまうと、「大酒飲み」は改めるべきこととして紹介されているのでややタイトル詐欺感もありますが…。
本文はいたってフランクです。友達に話しかけるかのような文体です。
ざっくり言うと、著者の主張の中で私が得た教訓はこんな感じでしょうか。
・果物を食べよう。
・とにかくよく噛もう。
・身体を動かそう。
特に「よく噛む」は習慣づけようと思いました。
過去にも色々な本で噛むことの重要性は知っていました。
でも知っているのと分かっているのとは違うようで、最近あまり意識できていませんでした。
よく噛むことと、食事に集中することで満腹感が得られるようです。ほかのことに集中しながら食事をすると、満腹になりづらいらしく。
そこで、インターネットラジオを聴きながら食事するという習慣を撤廃してみました。
すると本当に驚くほど、満腹感が得られるようになりましたね。
当たり前ですが食事と向き合うって大事なんですね。
それから、腹筋してもお腹はへこまないことがしっかり書かれていて、「そうだよなあ」と思いました。
筋肉がつく≠脂肪が減る
ということを改めて知り、有酸素運動に取り組む決意を新たにしました。
休みの日の午前中にインターバルランをやってみるのは一日のスタートとして最高(あるいは最悪)だろうと考えています。
いきなりやると吐き気に襲われそうですが・・・。いずれにしても時間を取って有酸素運動するしかないですね。
NEAT(非運動性熱産生)力を高めるためにオフィス&電車の中で姿勢をよくしてみるテスト中です。
深く腰掛けて足を浮かせてみたり。何もしないよりは意外と効果がありそうです。
長期的投資と同じだと思います。小さな毎日の積み重ねによって、複利の力で消費エネルギーを稼いでいこうと思います。
新天地さがし〜武蔵小山編〜
散歩の続きです。
西小山からまた西側ルートを通ってしばらく迷子になったあげく、突き当たったのがこの商店街。パルム商店街です。
ざっくり斬り捨てるような言い方をすると、パルム商店街にも「栄えてる側」と「さびれてる側」の2つがあります。
そのうちのさびれてる側から武蔵小山駅に向かった私は、少し残念な気持ちになりながら歩いていました。まるで地方都市の過疎化を目の当たりにするかのような。
ところが駅についてびっくりです。
開けた視界に駅前ロータリーが飛び込んできました。
それだけではありません。タワーマンションもです。
西小山にどことなく似ている駅だなあと捉えていたそれまでの武蔵小山観が一掃されました。勝ち負けではないですが、イメージ的には「勝ち」でした。
目下建設中ですが、弾幕には「日本一感じのいいタワマン」とありました。鼻につかない感じでぜひ頑張ってほしいですね。
■自然
さて、いざ住環境を調査…と思ってまずは北西側に歩いてみました。
自然豊かな公園があるのです。広大な土地で、人もたくさんいました。
でもみんなスマホに目を落としてばかりです。きっとポケモンか何かだろうなと思い、ぶつからないように森を突っ切りました。
公園の看板に書かれた周辺地図に目を向けると、「目蒲線」という見慣れない文字がありました。
なんと現在の目黒線の昔の名前だったんですね。意外な発見がおもしろいものです。
日も暮れてしまうのでそろそろ出ようかと思いましたが、どう歩けばいいか悩みました。結果、確実に帰れる方法として公園の辺に沿って遠回りしてみました。
道路はしっかり舗装されており、住宅も結構な数があるようです。賃貸もあるとはなかなか驚きでした。
■活気
ぐるっと回ってついに市街地に戻ります。
駅の少し北を通り、線路東側に気づくと居ました。いつもお世話になっているスーパー「ライフ」があり、ここはなかなか良さそうです。
近くの通りが何やら賑わっているので入ってみると、居酒屋や食品店が出店を出しています。
財布は出さずに雰囲気だけ味わって、直進すると先ほど通ってきたパルム商店街とは違う方の、栄えてる側に当たりました。
マスコットの頭部も歓迎ムードです。
このパルム商店街、駅から南東方向にまっすぐと続いています。しばらく店を見ながら歩いてみました。
いい感じの充実度です。酒屋あり、カルディあり、自然食品の店ありで嬉しいです。スーパーはあまり記憶にないので、駅前で買わないといけないかもしれません。
活気ある通りがずっと続く感じで商店街の末端にたどり着きました。
商店街を抜けると大通りに突き当たるので、もうお店はほとんどありません。
でも商店街がこれだけ充実していればきっとそのあたり住んでいる分には問題がないでしょう。
■総評
ざっくり言うと、住みたい度は①武蔵小山②大岡山③西小山④洗足でした。
私の感覚からすると、「やっぱり活気があったほうがいい!」のかもしれません。
ネットスーパーを本格的に使いこなしてスーパーに行かない生活をしたら商店街の逆側でも良さそう…などと考えたこともありましたが、なんだかんだで帰るときに買い物せずに通るだけでも商店街の存在があるのとないのとでは大違いだろうと思いました。
余談ですが、このあたりの住宅地はだいたいどこでも高級な車に巡り会います。スーパープレイヤーたちの住む環境に身を置いて何か変わるのか、実験してみるのもおもしろそうです。
理想の実線より現実の破線
どうやら先回でこのブログの記事が100に達したようです。
08/01から思い立って、ゆるく続けてきたのでだいたいそんなもんですね(ただしそれより過去の記事も合わせての数だとは思います)。
続けていると変化が生まれてくるもので、知らない方からスター(☆)をつけていただけるようになりました。それも結構な頻度で、いろんな方からです。
もしかするとある日設定を見ていて気づいた、ブログのカテゴリーというものを3つ設定したからかもしれません。各カテゴリーの新着記事としてこのブログが表示されていたのかもしれません。
それにしても、読者登録までされた方も何人もいらっしゃいます。この2つは高校時代には無かったことなので嬉しいことです。ありがとうございます。
記憶を振り返ってみると、高校時代のブログは事実ばかりを書いていたのではないかと思います。国語が苦手で、読書も苦手としていた私にとって日々「考える」という時間は少なかったはずです。
それが今ではよく本を読み、物を考えるようになりました。「今度はこれについて書いてみよう」という記事ネタが出てくるようになりました。
先日はてなブログの公式サイトを見ていると、こんなページを発見しました。
「はてなブログの目指す場所」です。
読むと、はてなブログの存在意義が真面目に書いてあります。
そこには…
「見知らぬ誰かのため」や「いつか見返す未来の自分のため」に
とあります(一部抜粋)。
前者については読んだ方の判断に任せますが、後者はそのとおりだなと思います。
ある出来事が起こったときに自分が果たして何を感じていたか、というのは驚くほど忘れています。
受験で第一志望合格の知らせを聞いたときの心境(冷静だった記憶はあります)や、かつて赤坂BLITZで演奏したときの高揚感、海外旅行で感じたことなど、素晴らしい思い出の数々は言葉にしておかなければ儚くも薄れてしまいます。
5年日記を付けだして2年数か月目ですが、ちょうど1年前の同じ日の内容を読むとわが言葉ながら発見があっておもしろいです。
ブログのネタ切れ問題は依然として健在ですが、いずれ独自ドメインでも取ってみようかなとぼんやり考えています。フェードアウトしないように頑張ります。