ブロードキャストストームによる摩耗
今日は歯に衣着せず書いてみます。エラそうに見えたらすみません。
最近なんだか「みんな元気が無いな」と感じています。
朝の満員電車で席取り競争に興じ、立っても座っても寝るかスマホか。HPがすでに削られている状態です。
50代くらいのおじさんでもスマホに映るのはゲーム画面(勝手に覗くというインモラル行動ごめんなさい)。脳のゴールデンタイムがもったいないなと思いました。
ひけらかす意味ではないですが、自分だったら本を読んで勉強します。というかそうしています。睡眠によって整理された脳を活用するためです。
アーノルドベネットや樺沢紫苑さんの本を読んで、朝から脳を使わないこと(新聞を読むとか、ゲームをするとか)はなんとなく避けるようになりました。そんなに強いルールではないのでたまには逸します。
■データの洪水
LINEやメールってコミュニケーションツールとして非常に便利なんですが、デメリットも最近感じます。
それは、「すべて捌かないと不安」なことです。
未読のメッセージが残っていることが、そのまま不安要素になります。すべて適切な処理(返信なのかスタンプなのか既読スルーなのか)をして、自他円満に終わらせたときに初めて安堵が訪れます。というより、すべて捌かないとずっと不安という負債を抱えたままになります。借金返してスッキリ、禁煙成功してスッキリという感じです(どちらもやったことないですけど)。
情報があふれて、そのデータの1粒1粒が精神にダメージをもたらしているかのようです。0と1のビット列が、土石流のように川を流れていき、途中の土砂を削っていくイメージです。
「メシウマ」とか「メシマズ」って人間の本性を端的に表す言葉だと思います。近頃で言えばSNS上で充実した生活のようすを投稿すると、それを羨んで精神をすり減らす人が出てきます。
逆に芸能人なんかが不祥事でマスコミに叩き上げられると一斉に批判の的となり、それを楽しんで肥やしにする人も出てきます。
■知ってるつもり
少し逸れますが、一次体験の重要性も見えづらくなっているような・・・。
たとえば私は散歩が趣味で、錦糸町に住んでいたころは荒川を渡って松戸まで歩いたことがありました。その道中、色んな街の景色を見たり、地図上でつながってると思ったら実は人が通れない道があることを知ったり(川にまたがる線路など)、充実した一次体験を得ました。
情報を文字として画像として音として脳に届けることはできても、一次体験にはかなわないと思います。やはり体験してみて、飛び込んでみての世界です。
ゲームも良いですが、外に出ればこんなにも知らない世界が広がっているのって楽しくないでしょうか?もっとも、子ども時代の自分にこんなこと言っても聞かなかったでしょうが・・・。
■内部構造の老朽化
実は今日(日付的には昨日)、知人のAI勉強会に参加してきました。
そこで、人間にしかない複雑な「内部構造」を知りました。内部構造というのは喜怒哀楽といった感情のようなもので、外の世界を身体で体験した結果そこに物語を見出すものです。突き詰めて考えれば鼓膜が振動するという物理現象も、だれかの話であれば感動したりワクワクしたりできるわけです。その物理現象に対して「物語」を与えているのが内部構造なわけですね。これは人間にしかありません。
冒頭から書いているとおりで、この内部構造が最近あまり表だって機能していない人がいるように思えてなりません。
せっかくこういう内部構造を持った存在なのに、傍から見れば「この人は感情のある人間なのか?」と(極端に言えば)思ってしまうような挙動・言動の人がたまにいます。もちろんその場に居合わせる人、環境といった外的要因によって振る舞いは変わるのでしょうけどね。
要するにもっと人間的になった方が将来明るいんじゃないかと思いました。ちなみに私も表情が硬いので多分多くの人からは「機械的だ」「冷徹だ」と思われていることでしょう。そこは反省点です。
人間同士の有機的な触れ合いを伴う、ハイタッチな職業がこれからの時代残り続けると言われています。
技術・スピード・個人主義な時代だからこそ失われたハイタッチな部分が必要とされていくのかもしれません。