Polyunus

ポリウーヌス(多と一):「日々改善」をモットーに、1型糖尿病患者が多面性を表現し、磨きをかけるためのブログです。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち①これが現実

夏休みと言えば読書感想文ですね。

実は今日から仕事だったのですが、季節柄こんな試みを。

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んだので感想を書いていきます。長くなりそうなのでひとまず①としておきました(多分章ごとに書くので④までいきます)。

■内容の前に
この本、昨年「激動する世界と宗教」というシンポジウムに参加したときに池上彰さんが触れていたので興味がありました。ようやく読んだという感じです。

著者は数学者の新井紀子さんです。数学者なので固めの文章かと思いきや、意外にも口語的なところやユーモアを感じるところがあって読みやすかったです。もしかして現代日本人の読解力欠如を考慮してそのように書かれたのでしょうかね?

■SFの否定
著者はシンギュラリティ(真のAIが人間を超越してしまう時点)の到来を「SF」と一蹴しています。

ですが、だからと言って楽観するのではなく悲観的なシナリオを描いています。

つまり、AIにできない産業が興ったときにそれに対応できる人間が多くないのではないかと。

このあたりを本文中でもちろん扱っているわけですが。

一読したあとにこの冒頭部分を再読しましたが、ここに結論がすべて書かれていました。

■仕事は無くなる=楽になる?
筆者は「東ロボくん」プロジェクトという、コンピューターで東大合格を目指すプロジェクトをやっています。

ですが、このプロジェクトの目的は「東大合格」ではないらしく・・・。そもそもプロジェクト開始時には「絶対に東大合格などできない」と思っていたそうです。

何のために始めたかというと、「AIにできないことを示し、人間とAIとの共存の道を明らかにするため」でした。単純に技術を伸ばしていくプロジェクトではなかったんですね。

とは言えその手段として「東大合格」をさまざまな方法で実現しようと模索するわけです。AIに学習させるデータ(教師データ)をどうするか、科目ごとにどのような方法で解かせるか、などなど。

そうして見えてきたのが、人間の労働をAIに代替できる部分です。ローンの与信審査や貿易の書類回しなんかはAIにさせる方が迅速・確実みたいです。

人間のやることが無くなれば人間は楽できる!と、直感的には思うのですが、筆者はそこに切り込みます。すなわち、そのような代替可能な仕事は人間にさせる意味が無くなるのです。

なぜなら人的コストの方が圧倒的にかかってしまうからです。AIでもできる分野なのであれば、迅速性・確実性で人間が勝てるものではありません。ということはAIに任せれば時間的・質的コストメリットがあります。

無理やり仕事を維持させようとして人を雇っても、AIと戦うための長時間労働・酷使が待っています。ブラック企業が出てくるかもしれません。

このようにしてホワイトカラーの半数が淘汰されると筆者は見ています。

■感想
今まで私はAI楽観論しか聞いてこなかったのかもしれません。仕事が奪われる=楽になると思っていました。

しかし、AIに代替できないような仕事にそもそも自分が就けるのか?と問うと、怪しいです。

過去の記事にも書きましたが、私は「代替不能な人間」になりたいです(みんなそうかもしれません)。

今現在、代替不能というのはほかの人間を指しています。「○○はあの人しかできない」という代替不可能性です。

しかしここにAIが参上するんですね。そうなると時間や場所を超えてものすごいスピードの競争が始まる気がしてなりません。人のように移動に時間がかかったりしませんので。いつでもどこにでもライバルが居る感じです。

ぼーっと日々を過ごすのではなく、「これはAIにできるか、できないか」ということを頭の片隅にでも置いておくことにしようと思います。

2章から先、AIの限界などまだまだおもしろいところが残っていますので明日以降で触れていきます。