Polyunus

ポリウーヌス(多と一):「日々改善」をモットーに、1型糖尿病患者が多面性を表現し、磨きをかけるためのブログです。

Oldies, be suspicious! 老年よ、疑心を抱け!

5月の更新分として、最終日に滑り込みます。

※以下、気が付けば結構な文章量となりました。

 

最近思うのが、我々は多くの慣習に知らず知らずのうちに縛られているということです。思いつくままに、箇条書きしてみます。

 

・「一家に一台」系家電(ex.テレビ、電子レンジ)

・デジタル一辺倒

ローマ字入力

・主食

スマートフォン

 

1つずつ触れていきます。

 

・「一家に一台」系家電(ex.テレビ、電子レンジ)

私の家では今、テレビの電源コードをコンセントから抜いている状態です。

電子レンジを最近粗大ごみに出しました。

この2つの家電、多くの人の家にはそろっているものではないかと思います。しかし、理由があって我が家では使わなくなりました。

まずテレビですが、これは単純に時間の節約ですね。これまでは起床後すぐに点けて、家を出るまで流しっぱなしにしていました。が、今や朝早起きしてラジオ体操したりプログラミングを勉強したり洗い物をしたりしているので、テレビに目をやる暇が無くなりました。

次に電子レンジは、その危険性を調べてしまったからです。インターネット上の情報なので正確なものかは定かではありません。しかし、「電子レンジは食品の栄養素を破壊する」旨の多数の記述を見つけてしまったのです。どうやら元々化学兵器の技術らしいですね。人を殺す技術を食品に応用しているということでしょうか。

もはやこのブログではおなじみ『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』にも電子レンジは良くない調理法として紹介されています。

そこで、電子レンジをやめました。代わりにほうろう容器を直火にかけて料理を温めることが多いです。 

野田琺瑯 スクウェアM ホワイトシリーズ WS-M

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会社に持って行っているタッパー詰めの昼ごはんは、常温で食べるようになりました。おかげで電子レンジの行列に並ぶ時間が無くなりました。

 

・デジタル一辺倒

ここまでITが発達してしまうと、もはやすべてデジタルが良いのでは無いかと思ってしまいます。でも、そんなことは無い気がしています。つまり、デジタルとアナログは一長一短です。

たとえば日記や自分の考えを書くことは、手書きの方が適していると思われます。

なぜかは詳しく知りませんが、手で書くのとパソコンで入力するのには確実な違いがあります。

また、先日気づいたのは砂時計です。コーヒー用のお湯を、適温になるまで1分冷ましたいときに、いちいちスマートフォンを取り出してタイマーをセットするなんていう手間も省けます。かつ、デジタルタイマーよりもアナログ砂時計の方が単純に雰囲気にマッチしますよね。

アナログなので、風呂場など機械には厳しい環境下に置いておくこともできます。これは大きな利点になりますね。

インターネットで検索すれば何でも分かると思いがちですが、本当にそうでしょうか。やってみないと分からないこと、行ってみないと分からない場所など山ほどあります。私の場合は散歩しているときにそんなことをよく感じます。一次体験、大事です。

 

ローマ字入力

これは先日取り上げました。かな入力の方が1.3倍程度速く打てるということです。

ローマ字入力の人ばかりがまわりにいると、「かな入力なんて・・・」とバカにする気持ちが生まれます。私もそうでした。

でも、論理的に考えると分かることなのです。ローマ字入力時と同じスピードで打鍵できれば、入力数の減るかな入力の方が当然速いのです。

これを本で読んだときは常識を打ち砕かれた思いがしました。本当に、慣習とは恐ろしいものです。

現在、なるべく毎朝かな入力タイピングの練習を行っていますが、まだブレークポイントは現れていません。・・・もう少しで壁を越えられると良いのですが。

 

・主食

米、パン、麺・・・料理を出す場で必ずと言っていいほど目にする「主食」ですが、果たして本当に「主」食なのでしょうか。

激しい運動をこの後に控えている、など明確な理由があるなら分かるのですが、「メニューにあるから口に入れる」では思考停止ではないかと思います。

「なぜ必要なのか、これを食べるとどうなるのか」を分かった上で食事しなければ、自分の身体が乱されます。

「米は日本人の心だから・・・」というのは米を食べる理由にはなりません。これこそ慣習に縛られているだけです。

ここも難しいところではありますが、人にはそれぞれ異なる性質があるため自分に合った食事スタイルを自分で考えていかなければなりません。その前においては世間の慣習など何のあてにもなりません。

 

スマートフォン

今の時代、持っていて当然になりましたが、無くても大丈夫な気がします。というよりも昔(スマートフォンの無かった時代)と比べてやはり一長一短なのだと思います。

スマートフォンがあると、誰とでもすぐに連絡が取れます。逆に相手も、自分がすぐに連絡が取れることを暗に期待しているのではないかと思います。こうなると、返事が遅いだけでストレスになったり、返事を早く返さなくてはならないと余計な心配をしたり、面倒ごとが増えてしまいます。

また大きな問題は、「パソコンでやった方が遥かに効率が良い」ことまでスマートフォンで「できてしまう」のです。「できてしまう」→「やって当然」という周りからの期待がかかると、「パソコンの方が効率が良いから自宅でやろう」と思っても「スマートフォンで今やれ」ということになります。

冷静になれば効率が良くて結果的に時間が有効に使えるのはパソコンでの作業なのに・・・とつくづく思います。多分、いっそのことスマートフォン不所持宣言をしてしまえば強制的に効率の良い状況を作り出せるのでしょうね。

 

まとめ

慣習に縛られていると、現状改善のための素晴らしい考えが埋もれてしまうと思います。

今朝も朝の通勤電車で思いました。駅に着くと同時に我先に降りたがる乗客、不機嫌なサラリーマン立ちを見て。

「そんなに満員電車が嫌なら、満員電車に乗らない仕事スタイルを選べばいいのに」と。会社を辞めて独立しても良いですし、早朝出勤でも良いです。とにかく何か現状を脱却する手段を取れば良いのです。それなのに多くの人は慣習に流されて、毎日の行動(それが結局人生すべてに亘るものです)を何も変えようとしないのだと思いました。

 

結論を言うと、まずは疑ってかかることが大事ではないかと最近よく思うのです。