Polyunus

ポリウーヌス(多と一):「日々改善」をモットーに、1型糖尿病患者が多面性を表現し、磨きをかけるためのブログです。

Chain Reaction

放置していたら12/1にはてなブログproの年間契約が自動延長されてしまったので、8000円をドブに捨てないためにも、たまには書きます。

※さっき解約したので来年は延長されないようになりました。

 

言わずもがなの一年振り返りです。

 

ヒルクライム元年

今年はロードバイクでロングライドに飽き足らず、ヒルクライムを始めてしまいました。Instagramの過去投稿を振り返ると、1月は多摩川や江の島に行っており2月頭も多摩湖付近までと、ロングライドの距離は伸ばしつつも平坦路が続いていました。

 

2/8に「初ヒルクライム」を行っていたようです。大垂水峠に行きました。このときは途中で脚付いて休憩してましたね。

 
 
 
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2月は都民の森・風張峠で大後悔、大垂水峠リベンジ。

 

その後しばらくは梅雨のためお休みし・・・7月に都民の森リベンジで脚付き無しの90分で上りました。

 

8月には秩父方面(正丸峠というか正丸トンネル、狭すぎてトラックと至近距離での並走に死にかける)、

 

9月は奥多摩→山梨の柳沢峠で流石は上級コースといった感じに疲れ切り、

 

10月は群馬と長野の県境にある碓氷峠、これはフロントアウターギアで上れました。が、その後藤田峠という鬼の急坂で死にました。自転車押して上りきったら向こう側が通行止めという・・・。

 

11月は①群馬の塩沢峠と秩父高原、②柳沢峠の逆ルート、③都民の森(76分にタイム短縮)でした。11月行きすぎですね。

 

そして12月は筑波山(不動峠と風返し峠とつつじヶ丘)。なかなか体力もついてきたのか、疲れますけど立ち止まることはなく上れました。あと自宅から往復すべて自走でした。

 

整体で膝の痛みの原因が扇風機による冷えだと分かってからは膝も大して痛まなくなったのはありがたいです。太ももとふくらはぎの筋肉は結構付いたので、あとは心肺機能を高めるのと72kgもある体重を減らすのに注力して来年もヒルクライムを頑張ります!

 

1月は早速ロードバイクをフルメンテナンスに出すのでロケットスタートを切ろうと思います。

 

スキンケア元年

友だちの勧めでスキンケアに力を入れた年でもありました。

 

風呂上がりに必ず美容液とクリームを顔に塗るようにしています。昔は風呂上がりの顔ってカッサカサだったイメージがあるのですが、今はしっとりしてます。

 

でもニキビはなぜか増えてるような・・・食べすぎなのかストレスなのか、何でしょうね。継続課題として根絶に取り組みます。

 

あと手の指先は洗い物でガサガサになりがちなので、THREEのハンドクリームを塗ってケアしていきます。

 

DTM元年

5月や6月は雨も多くて、家にこもる時間が長くなりました。結果、音楽がたくさん生まれました。約1か月の間に4曲生み出し、次の1か月で1曲書きましたがその後長らく音沙汰なく、滑り込みで12月に1曲書きました。

 

note.com

 

軽く振り返って見ていきましょう。

 

  1. アトランティス
    雨が降っているときに思いつきました。マイナーキーの曲で考えたらああなりました。ギターを指で弾いたのが曲の基盤となっています。

  2. ほしあかり
    壮大、変拍子というのがテーマだったような気がします。8分の6拍子からの8分の5拍子、行ったり来たりの展開です。

  3. 十二平均律のおかげ
    1オクターブのすべての音を使ったメロディを考えて、そこから広げたらこうなりました。我ながらよくこんなの考えたなと思います。合う音の幅が広いセブンスコードに助けられました。

  4. Summer Youth
    夏曲、エモーショナルな一曲を、という感じだったと思います。苦戦しながらギターソロもやりました。

  5. 小舟
    ストリングスアレンジに挑戦しました。昨今のイントロ短めな潮流に反抗したイントロの長さです(40秒)。

  6. 輪転
    ラップ曲にしてみました。そしてキーボードで初めて作曲した曲です。MIDIなので後から演奏をいじれて助かります。

 

Macの性能が圧倒的に不足しているのですが、MIDIキーボードやマスタリングソフトを購入したので、来年もたくさんの曲を生み出したい所存ではあります。

 

アイドル元年

今までアイドルなんてハマったことが無かったのですが、今年はすごかったです。

 

まずは年始にDIALOGUE+を聞くようになり、ニコ生番組のアーカイブやらラジオ番組のアーカイブを漁りまくっていました。

 

6月には配信ライブで度肝を抜かされました。ファンの要望も熱く、あっという間にそれはBlu-ray化したので購入しました。

 

このあたりで、DIALOGUE+のラジオで音楽プロデューサー田淵さんの推薦曲としてukkaの「それは月曜日の9時のように」とjuice=juiceの「ロマンスの途中」が流れました。

 

それはもう衝撃的でした。この年齢になっても音楽でこんなに衝撃を受けられるとは、嬉しいことです。

 

そこから特にukkaはCDを収集するようになり、絶版のCD-Rをメルカリで手に入れてしまうほどになりました。そこにしか入っていない曲があるためです。

 

7月には配信ライブも開催され、視聴しました。コロナ問題で長らくライブができなかったのがようやくできた、という思いがあふれメンバー(村星さん)が泣きながらMCをしていました。

 

下半期に入るとコロナ対策をしつつ現地観覧ありのライブが出てきました。

 

10月はDIALOGUE+のライブに参加、大きなホールの最後方席なので肉眼が役に立ちませんでしたが生歌を楽しむことはできました。参加したのは午前の部で、午後の部は配信で見ました。午後外れてもこのような楽しみ方ができるのは配信のいいところですね。各メンバーの貴重なソロ歌とか、打ち上げ配信とか、たくさん楽しめました。

 

12月はukkaのライブに参加しました。桜井さん卒業発表後の初ライブでした。6人ukkaを生で見るのはこれが最初で最後となりました。2階席後方だったのでこれまた肉眼が全然対応できませんでしたが、同じ公演を配信で見直したら細かな表情が伝わってきて2倍楽しめたと思います。現地ではダンスのフォーメーションが見られたり、レーザー照明や銀テープ発射の演出が臨場感をもって楽しめたので素晴らしかったです。

 

来年は5人ukkaのツアーや、DIALOGUE+の1月ニューシングルとライブ観覧、そして出るであろうアルバム!?を楽しみにして応援していきます。

 

まとめ

コロナはありましたが、発症もせず健康に過ごせました。

 

なんだかんだで年収も下がらず微増したのは良かったことです。もうちょっと残業してたら600万行ってました。来年はいよいよ転職したいですね・・・。

 

見た目は大事です、でも中身の方がもっと大事です

 
 
 
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行きも帰りも輪行で、柳沢峠に行ってきました。楽しみでなのか、ほぼ一睡もできずに3時起床、7時前には青梅から出発してました。 青梅→柳沢峠→勝沼ぶどうの丘→大月 獲得標高2101メートル!距離は100kmでした。道理で辛いわけです…。大月に着いたのは16:30でした。 しかしながら ・青梅から多摩湖方面に向かうからこそ見える左車線からの青々とした渓流 ・多摩湖の風景 ・道の駅たばやまの鹿ゴロッケバーガー ・たばやまで見かけた、ずっとゲーム休憩していたはずの男子高校生に峠最後の数kmで抜かされたこと ・勝沼ぶどうの丘展望ワインレストラン ・塩山フルーツラインから眺めた空と雲 これらが夏の思い出になりました。 そして、整体の先生に言われて扇風機直撃をやめたら膝痛が出なくなったことも素晴らしかったです。前日湯船に使ったのも奏功?

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相変わらずロードバイクでお出かけし、肌へのダメージを蓄積しています。今年は日焼け初めが3月だったので、半年ぐらい継続的に日焼けしていることになるんですね。

 

高校時代からの友だちでありバンド仲間がスキンケアに詳しいため教えてもらって某オーストラリア発のオーガニックコスメブランドの日焼け止めを買いました。しかし・・・

 

体表面戦争

前期

派手にかぶれました。ロングライドでというよりも、その後普通に外出する際に塗っていたら強烈な8月中旬の日差しに反応してか腕中がポツポツと赤い斑点を出し始め、ついに仕事も手に付かないほどのかゆみが生じました。

 

特に腕がひどく、ブツブツでザラザラの状態に覆われていました。まるでアシタカの腕です。次いで顔はさほどかゆみは強くないものの、洗顔時に触れば一発で分かるほどザラザラになりました。うすら赤みもかかり、まるで鬼の皮膚のようでした。

 

皮膚科へ行くと「これはひどいね~」と先生も驚きのようす。ステロイド剤のリンデロンと、保湿剤のヒルドイドを半々で配合した薬をもらいました。来る日も来る日も塗り続け、薬のおかげなのか自然治癒なのか分からないペースで2週間ほど経ってようやく治ったのでした。ちなみにヒルドイドが効果大なおかげで、顔と腕は恐らく今回の件を経てかつてない滑らかさに生まれ変わりました

 

中期

ところが、性質の違う赤い斑点が腕の別の個所、そして脇腹付近に出ているではありませんか。明らかに症状からして別だと思い、再度皮膚科へ行ってみました。すると、「あせもかな・・・?」との診断。処方された薬は、今度はかなり良いペースで効いてくれました。脇腹の斑点はインターネットで調べると肝臓の病気もサジェストされてしまい、飲酒量のせいかと一時心配になりましたが、どうやら飲酒が原因ではなさそうで胸をなでおろしました。

 

後期

ところがところが、今度は顔に怪しげな発疹が現れ始めたのです。そう、ニキビです。

 

恐らく前日に電動髭剃りを強く当てすぎたのが原因ではないかと考えています。とは言え額にも現れているので内面的な問題も疑われます。こればかりは深追いできていません。

 

顎横、頬骨付近、額、眉間、鼻など広範囲にでき始め、市販薬で対抗しました。

 

言ってしまえば「イマココ」なのでまだ治療中なのですが、やっと痛みは軽減されてきて痕も少しはマシになってきました。あと少し工事を続けて、サグラダファミリアよりは先に全身の肌を完成させようと思います。To be continued...

 

weapons

今回の記事は別にアラサー男子の肌事情(サタデーナイトにまた会おうと韻)が話したいわけではないのです。

 

でも最後におすすめの化粧品だけ貼っておきますね。

 

ハイエンドなインターフェイス

さて、前回記事に引き続きアイドル(DIALOGUE+ukka)にハマっているのですが、彼女らのSNS投稿には化粧品の紹介やメイク動画、髪型の作り方動画などがあります。そこに関心が持てるようになりました。

 

みんな相当努力しています。活動開始当初からすると明らかに今の方が良くなっています。それには・・・

  • ダンス練習による体型の最適化
  • メディア露出の度に行われる自他のフィードバックによる「見せ方」の改善
  • 表情筋の発達

などが起因しているのではないかと察します。

 

「垢抜ける」というのは、本人の努力により(ある程度は)そうなるべくしてなっているのだと思いました。

 

自分でもスキンケアし始めて分かりましたが、肌の状態を整えるだけでも段違いです。考えてもみれば体表面のわずか数ミリ。ですが逆にそこさえ良ければその内側を他人が窺い知ることはできないのです。なんだか不思議です。

 

日焼けでダメージだらけの肌に、家にあった適当なクリームを日々塗り込むようにしてみたら恐ろしくスベスベになりました。昔は二の腕によくあるブツブツができていたのに、気づいたらそんな問題とは無縁になっていました。

 

かように、実は人目に触れられる貴重なインターフェイスが肌なのです。全然馬鹿にならないですね。

 

ポスプロの妙技

レコーディングや映像制作でたとえてみれば、これはポスプロ(ポストプロダクション)です。つまり録音・撮影が終わったあとに行うブラッシュアップです。

 

6月に行われたDIALOGUE+のオンラインライブ「ぼくたちのかくめい」は当日リアルタイム視聴して度肝を抜かしました。オンラインライブというものが初めてでしたが、驚きの演出が連続して、感動しました。

 

私だけでない、ファンからのあまりに大きい反響から、9月にBlu-rayディスクが発売となったわけですが、先日視聴しました。これまた素晴らしい作品になっていました。カメラのカット割りが洗練されていたのはもちろん、歌のピッチ修正やタイム修正、一部ミスが目立たないようにする工夫などポスプロの努力が手に取るように分かりました。

 

スタッフの熱意でしょう。「このシーンはこのメンバーの動きを見てほしい」と言わんばかりのカット割りや、ライブ音源の最終調整といった各パーツが相まって、6月の配信当時何度も見たはずのライブが新鮮に見られました。もっと言うと、6月より感動は大きかったです。

 

そのとき、ポスプロはごまかしなんかではないと思いました。これは作品をより良いものにするための必要善なのだと思いました。

 

当然ながら撮って出しのプロダクションそれ自体のクオリティが出発点ですから、メンバーの努力量もあってこそです。でも調味料を足してもいいのではないでしょうか。

 

それは上手に焼いたステーキにパラリと振る塩胡椒であり、ミルクティーに散らすシナモンパウダーであり、蕎麦に乗せる刻み海苔なのです。

 

評したいのはデルタ

スキンケアや化粧と言ったアナログのポスプロ、そして機械の力を使ったデジタルのポスプロ、どちらも変化量デルタに心惹かれます。

 

そこには「本気」や「努力」が見えます。

 

たまたま生まれたままで「見てくれ」が良かった、ダンスや歌に対する天性の才能を持っていた、というのもすごいことですが、それはアイドル文化とは異なるタイプのエンタメだと思います。

 

何も努力しなければ、大部分の人間が見てくれは普通ですし、ダンス・歌・楽器・スポーツなどの能力だって普通でしょう。

 

私にしても、学力やドラムの演奏能力や歌唱力は努力で身に着けたものでありスタートはゼロ地点だったと思っています。今となってはどれも平均レベルよりは自信がありますが、今の状態にたどり着いたことを「才能があったから」とは微塵も思えません。

 

そういう意味で近い目線に立てるからこそ、アイドルには魅力があるのかもしれません。

 

表層と深層

見た目と中身は一大テーマでありますが、これだけ「見た目」の話をしてきたもののやっぱり逆説的に中身が真に大事ではないかと感じています。

 

というのも先に述べたとおりで、たまたま見てくれが良いとか才能があるとか、そんなことはたまたまでしかないからです。ドラマがありません。面白味がありません。
※もちろん、あまりの天才性に目を見張ることはあるでしょう。それはそういうエンタメとして楽しめばいいと思います。

 

言いたいことを的確に言うのが難しいのですが、中身がしっかりしていればある程度見せ方にも配慮できるため、結果としては良いのではないかと思うようになりました。

 

これまた言い方が難しいのですが、美男美女カップルに不安を感じるのです。表層だけで惹かれているとすれば非常に脆いのではないでしょうか。深層の醜さが露呈したときに、どうなるのか心配です。

 

血塗られたレッドカーペット

ここから一気に話が変わるかもしれません。

 

表向き華々しい芸能界で悲惨なニュースが相次いでいますね。これは先回の記事でも取り上げた話です。

 

本当に、我々は見た目に憧れるので「あんなに第一線で活躍して、いいなあ」と単純に羨むことができます。しかし当の本人はと言うと、同じ人間なので釈迦の金言「人生は苦なり」から逃れられているわけではありません。

 

有無同然、色や形は違えど苦しみを抱えています。

 

人間の想像できる幸せの形はすべて相対的なものです。そもそも、想像している幸福を説明する、言葉それ自体が相対的なものです。

 

たとえば「赤い」と表現すれば、それは「緑ではない」とか「青くはない」という相対性を持ちます。デジタルな表現をすれば、RGB値という相対的な尺度における「R:G:B=255:0:0」という表現です。

 

もう少し広く言えば、「色」というわずか1つのカテゴリーの中における相対的な「赤」としての立ち位置があります。それはカテゴリーを念頭に置かなければまず説明できません。

 

上記は視覚の例ですが、ほかにもたとえば「スイカの味を教えてください」と言われたとしましょう。「甘い」とか「さっぱりしている」とか色々言えましょうが、「○○!」とそのものズバリを一言で言い表すことはできません。適当な言葉を創出して「スイカい!」とか言うことはできても、それは説明になりません。

 

(どうでもいいのですがレッドカーペットという見出しを付けたら「赤」とか「スイカ」とかつられたように出てきますね。)

 

釈迦も悟りを開いた直後は「この絶対的な真理を相対的な言語で説くことは不可能」と一時は自殺を考えたそうですが、「説かなければ尚更分からない」と説法を始めました。それが一切経七千余巻と言われる膨大なお経になったわけです。

 

繰り返しますが言葉は相対的、そして説明対象となる幸福像自体も相対的です。「年収1000万円あったらいいな」とか「結婚してマイホームが建てられたらいいな」とか「インフルエンサーになれたらいいな」とか、全部相対的です。

 

年収1000万円になったらその瞬間、それまでの年収との相対性で喜べます。きっと年収100万円からの急成長なら喜びも大きいでしょうが、年収800万円からの伸びならさほど喜びはないはずです。また達成してしまった後がとりわけ深刻です。年収2000万円の人の存在が頭をもたげます。その上、さらに上もいます。

 

引き合いに出すのは申し訳ないですが、年収を公言している(させられてしまった)芸人「天津」の向さんはある年の年収が800万、次の年が1300万だったそうですが、「大して感覚は変わらない」と言っていました。その言葉に真理を感じました。

 

お金から寿命に話題チェンジしましょう。人生50年だと言っても人生100年だと言っても、所詮は相対的な話なのです。質を抜きにして量だけで語るにしても、年数上の長生きが一概に良いことだとは言えません。もちろん可処分時間は多いでしょうが、それは人生の長さから相対的に位置づけられるので何の意味も無いです。フラクタルな図形をズームインしたりズームアウトしているだけのような感じがあります。

 

そう考えると、大学進学率が上がったとは言え平均寿命の異なっていた時代と比べて教育システムの年数がさして変わらないのって少し不思議です。平均寿命の長くなった現代人は、相対的に早く社会に解き放たれることになります。

 

昔の10代って老けて見えますし、今の40代って結構若く見えます。

 

話をレッドカーペットに戻すと、あんなに華やかに見える芸能界だって幸福の尺度は相対的なのです。むしろ平々凡々とした一般人の方が気楽かもしれません。なにせ一定程度成功して見える芸能人は世間のプレッシャーも受けるため「こんなに認められているはずなのに、何かが違う・・・」という違和感も大きいのではないでしょうか。加えて最近で言えば誹謗中傷の嵐が巻き起こっているのです。

 

(まわりから受ける羨望ほど)思ったより幸せではないのにも関わらず、時にいわれのない批判を受けたりするとすれば、かなり悲惨です。相当にタフか、自分のやりたいことに適合しているのでなければやっていけません。

 

相対の幸福|絶対の幸福

普通「幸福」と言うものの差すところは相対的なので、「相対の幸福」です。生きているときですら崩れる可能性があり、そうでなくても肉体の死によって必ず崩れ去る儚い幸福のことです。

 

これに対して浄土真宗で教えられる今生における到達点・決勝点が「絶対の幸福」です。これは生きているときはおろか、肉体の死によってすら崩れない幸福です。てきとうに言っているのではないことを示すためにあえて専門用語で言えば「現生正定聚」です。
※生きている現在、正定聚不退転=さとりの51段目/52段中になること。

 

相対の幸福ではいつまで経っても満足できないのが人間=煩悩具足の凡夫なので、定義上どうしようもありません。キリのある人生でキリのない欲望を満たすことはできません。

 

ということで、仏教のゴールをポップに言えば「絶対の幸福になろう!」というわけなのですが、ここで勘違いを起こす人が出てきます。

 

「相対の幸福は求めてはいけないのですか?」とか「相対の幸福は無駄なんですか?」とか「美味しいものを食べたり旅行に行ったり音楽聴いたりするのを止めて仏教を学べというのですか?」とか・・・そういうことではないのです。

 

絶対の幸福が目的、相対の幸福は手段です。

 

だから目的は1つなのですが、人によって暮らしはさまざまです。私のようにロードバイクや音楽が好きな人もいれば、ゲームや映画が好きな人もいるというだけです。

 

上記のような趣味も手段であれば、仕事も手段です。目的を生活の中心に据えながら、その目的を達するために必要な過ごし方をすればいいのです。

 

まあ、目的が生活の中心になっているかどうかは反省なのですが・・・。

 

したがって、私も「相対の幸福」において実現したいことは結構たくさんあります。楽曲提供とかですね。もっと預金通帳を気にせず過ごしたいとか、食費にお金をかけたいとか、ピナレロのハイエンドロードバイクが欲しいとか、挙げればいくらでもあります。流石は煩悩具足。前世は餓鬼界の衆生だったろうと常々思います。

 

何が言いたいかというと、まず第一に目的を達成して中身のある状態で、見栄えとしても良い感じの生活を送れるようになりたいのです。

 

本日のまとめ(られない)

見た目は大切、ですが中身を伴わない場合は心もとないものです。本質的には中身が大事、でも外見も気にしたいですよね。

 

そんなことを思いながら気が付くと秋になっていました。乾燥肌にはお互い気を付けましょう。

Hey! みんな元気かい?

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和田峠の有名な激坂(下りで撮影)

毎回お久しぶりです。数か月分の脳内を放出するつもりで、雑多に書きます。素人のポッドキャストラジオだと思って見てください。

 

みなさんどう過ごしていますか?

最近はすっかりコロナウイルスが世界を席巻していて大変なことです。

そんな折、頭に浮かぶのがこのKinki Kidsの曲タイトル「Hey! みんな元気かい?」。

 

Kinki KidsがコカコーラのCMソングで「永遠のBLOODS」を歌っていたころ、曲が好きでよくCD聞いてました。多分小学4~5年生ぐらいです。もう15年くらいは聞いてないのですがタイトルは頭に残っています。

 

ぼんやりとしたサビのメロディーに、このタイトルだけしか覚えてなくても今の時代にはとても響く良いタイトルだなと思っていました。さっき久しぶりに聴いて歌詞を見たらやっぱり良かったです。

 

みなさんどう過ごしていますか?

 

私はと言うと、相も変わらずロードバイクで荒川・江戸川爆走したり、ふと気分転換に近くの幹線道路を適当なところまでたどってみたり、「体重60kg台になるまで絶対に行かない」とあの日決めた都民の森に再チャレンジして友人ちぎって独りで脚をつかず無事上れたり、していました。

 

冒頭の画像は一人で和田峠に行って12%の勾配に悲鳴を上げて泣く泣く歩いて押したあと、下りで撮った有名な激坂です。このレベルの傾斜はまだ上れる気がしませんw

 

それから、すっかり音楽制作にハマってます。

note.com

自分好みのものしか作っていないので、自己評価は常に最高です。ギターと歌が無駄に上達してきました。ドラムは生で叩かず打ち込みに挑戦してます。

 

5月中旬に曲を作り始めてからこれまでに4曲公開しました。結構なペースです。

 

今日は5曲目を作っていました。すでにギターバッキングと歌詞とメロディは出来上がっているので、リズムトラックを打ち込んでベースを考えれば完成します。

 

承認欲求

Twitterで頑張って広めている最中です。でもこれがなかなかうまくいかないもので・・・工夫どころですね。オリジナル曲検索したりして競合分析もするんですけど、クオリティは"かなり"良いような気がします(性悪)。でもだいたいにおいて自分より「いいね」をもらっている人ばっかりなんですよね。本当に意味が分かりません(性悪)。

 

生来の人ウケの悪さが露呈している感覚を覚えます。自作曲の拡散以外の普通のツイートでも、あんまり「いいね」をつけてくれる人がいないような気がします。私と同じ1型糖尿病のほかの人が、持病で苦しんでいる系のツイートをするだけでいいねを3桁稼いでいるのを見てかなり疑問に思います。

 

「こちとら弱音も吐かずに持病を受け入れて淡々と生活しているのに?」なんて思いますw

 

自分のことをいけ好かないと思っている人がいるのでは?(まあ1人ぐらいいるとは思いますが)と勘ぐります。いけ好かない人にはいいね付けませんからね。あとミュートしている人にも。

 

また、ひょっとすると自分がレアタイプすぎて共感が得られないのでは、と最近では考えています。先ほど書いた「都民の森再チャレンジで無事脚付かずに完走!」っていう個人的感動体験よりも「妹が結婚するらしい」というツイートの方が多くのいいねを獲得しましたし。

 

表舞台に立つ人は人気商売ですが、自分にはなかなか向かなそうだなと感じました。

 

アイドルタイム

人気商売と言えばアイドル。最近はひょんなことからアイドル(DIALOGUE+)にハマっています。8人組の女性声優ユニットです。

 

YouTubeでDIALOGUE+の動画を色々見て、とにかく最初は曲の良さに触れて興味を持ちました。正直、聞いてるラジオのゲストで見たことはあったのですが、そのときは気にかけていませんでした。

 

UNISON SQUARE GARDENの田淵さん(代は被らないものの同大学同学部の先輩と判明)が楽曲プロデュースを担当しています。編曲にはMONACAの田中さんや広川さんが参加していたりとツボです。

youtu.be

 

楽曲の良さから入って、ありがたいことにYouTubeに大量に公開されている公式のアーカイブ番組でメンバー8人のパーソナリティを知っていきます。

 

みんな個性だらけで面白いのです、これが。FMラジオも毎週メンバー交代でやってますし、ラジオ好きとしては非常に嬉しいです。月曜23~24時なのでリアルタイムでTwitter実況しながら聞いてます。

 

DIALOGUE+(集団における)人格とラジオ(少数における)人格が違ったりするのが面白いですね。あるメンバーは集団においては子ども扱いされているのに、実は随一の読書好きでラジオならしっかり語れたり。

 

6月中旬にハマり始めて、下旬に行われたオンラインライブ(本編、メンバー打ち上げ放送、スタッフ打ち上げ放送)にはすっかり打ちのめされました。

 

大人が本気を出している、そこにメンバーが負けじと食らいついている感じでした。

 

オンラインライブ=オンラインでライブ映像を配信するという単純な予想はきれいに裏切られました。ストーリー演出やカメラワークなどに度々度肝を抜かれ、後半の「ぼくらは素敵だ」という曲では涙を流しました。

 

そもそも広川さん編曲の劇的に素晴らしいコード進行なのが元から好きだったのですが、オンラインライブの演出がまたすごかったのです・・・。これは9月のBlu-ray発売を待って共に確かめましょう。

 

ちなみにコード進行と3声コーラスはコピーしたのでこちらで聞けます。

www.youtube.com

 

そんなDIALOGUE+、ラジオでは田淵さんセレクトの曲が数曲かかります。そこで知った別のグループもすごく良くて、今ハマっています。ukka(旧:桜エビ~ず)です。

 

やっぱり曲の良さから入るしかないのと、良い曲が出続けないことには応援を続ける理由がなくなりそうな気がしているのですが、ukkaもとても曲が良いです。

 

2019年のアイドル楽曲大賞1位に輝いた「それは月曜日の9時のように」はド名曲です。特にこのライブ映像がお気に入りです。

youtu.be

 

編曲のONIGAWARA、名前こそ知っていたもののこんなにストライクな曲を書く人たちだとはまったく知りませんでした。恐れおののいてCD借りまくりました。

 

90年代特有のキラキラした感じが詰まっていて、良いです。明るくてポップな曲が好きな人にははまると思います。彼ら名義の曲だと「シャッターチャンス'93」が特にお気に入りです。

youtu.be

 

ちなみにukkaは天下の渋谷TSUTAYAにすらレンタルが置いてなかったので自宅近くのタワレコでアルバムとシングルを1枚ずつ買いましたw

 

言語化の権化

言語化おじさんこと鷲崎健さんがラジオで最近語っていたのは、アイドルは愛情を注ぐ対象とのこと。「何かに愛情を注ぎたい」という人々の欲求に応えるエンタメなのです。

 

なるほど必ずしもビジュアルが優れているとかパフォーマンスが優れているとかいうことは要らないのです。それは実は本質ではないのですね。今、とても分かります。

 

さてせっかくなので私がDIALOGUE+(とukka)にハマった理由を簡単に言語化してみようかと思います。

  • 曲が良い

言わずもがな。作家も大勢参加していてバラエティ豊かです。いつか楽曲提供してみたいという思いを強めます。

 

  • 人数が多すぎない=8人

曲が良くてハマってファイナルライブのBlu-rayまで買ったWake Up, Girls!は7人。人数1桁が個人的には限界です多分。ちなみにukkaは6人です。

 

  • 個性が強い
  • TVバラエティ的な意味で面白い

ボケ担当、オタク、いじられ担当、プロレス好き、6歳児、涙もろい、天然、サバサバ・・・個性が見えるということはそれなりに自己開示できているということの証なのでしょうか。良いと思います。

 

  • 仲が良さそう
  • 「卒業」が無さそう

DIALOGUE+「ぼくらは素敵だ」には「一人でも欠けちゃったら嫌だから」という歌詞があるくらいなので、きっとメンバーチェンジは無いのだと思います。メンバー追加ならまだしも、卒業は想像するにちょっと残念な気がします。ukkaはメンバー追加がこれまでにありましたが、卒業はないのでいいなと思います。

グループ自体を生命体としてとらえるのではなく、個々人を見ているからこそこんな風に思うのかもしれません。もちろんグループ自体がメンバー交代を経て生命体として変化していくタイプのアイドルに文句つけているわけではなく、個人の好みの問題です。

 

  • 成長が感じられる

「ぼくらは素敵だ」を自分でコーラス含めて歌った人間には分かるのですが、難しいですw

ライブでもコーラスは(3声でないにしても)本人たちがリアルタイムで担当しているため、楽曲に期待されるパフォーマンスレベルは相当高いと思います。振り付けとか見ていて恐ろしく難しそうです。

それらを1つ1つ、制作サイドが「さすがに無理だろう」と思ったところを越えてくるのが頼もしいです。

 

ポップの糖衣

私の趣味もあるのですが、ポップなものが好きです。高校時代にハマったCymbalsがきっかけかもしれません。

 

あえて具体名を出して言うと、いかに流行っていようとEDMとか好きになれないんです。暗い音楽や、ゆったりすぎる音楽も苦手です。もちろん、時と場合によって刺さるものもありますが。

 

基本的には明るくて、コード進行がきれいで、歌詞の内容が楽しくて、テンポが速い曲が好きなのです。

 

音楽に限らず、自らも意識的にポップであろうとはしています。Twitter人格はいつのころからか明るく振る舞うよう努めているので、滅多なことではネガティブ発言はしません。あまり見たくないので口の悪い人やネガティブな人はミュートにしています(目に余る場合)。

 

そんな表層と関係なく、内面(感情)は全然おかまいなしに振る舞います。だからこそ先ほど書いたように「自分の曲の方が良いのでは?」と思ったりしますw

 

ブログは特に気にせず書いてもいいかなというタガの外れた感じで書いております。どこかで吐き出さないと溜まる一方なので。

Twitter→ポジティブに日常

note→音楽

blog→全部

みたいな使い分けでしょうか。

 

たまには真面目なことも書けるぞ、というところを見せておきましょう。

 

自殺は善か悪か

悲しいことにSNS絡みの問題か、芸能人のショッキングな自殺ニュースが相次いでいます。

 

仏教10年選手の私なりに語ってみます。※完全に正しいかは自信がないので、ホウクフィルターがかかっていることを念頭に置いてください。

 

まず、自殺の善悪ですが、仏教では自殺を善悪で語りません。賢愚で語られます。結論を言えば自殺は愚かだと教えられています。

 

でも世間的には賢い人が自殺するんですよね。たとえば芥川龍之介とか川端康成とか、つい数年前で言えば西部邁とかです。

 

真意は知りませんけど色々(一般の人の何十倍も)考えたあげくに、それほど考えてもなお生きる意味が分からないからではないかと思います。つまり普通の人が気にも留めずに生きている、そこを深く考えてしまって絶望するというシナリオです。

 

かく言う私自身も、仏教学ぶまでは人生の意味なんて考えたことはありませんでしたし、それに悩んで聞き始める人を見ると真面目さに感心してしまいます。

 

確かに、気がついたら人間でした。誰に頼んでもいないで生まれたうえに、生きるのはコストがかかります。楽しいことももちろんあるけど苦しいこともあります。何より生きるコスト―衣食住をはじめとする生活費―を支払うためには基本的に労働しなければなりません。

 

そこそこ収支は大変、でもまあ仕事はあるし暮らしていくことはできる、という人(私もこのレベルです)なら人生ゲームの全貌を考えずにプレイしていくかもしれません。

 

しかしこれが、今まさに逆境でどうしようもなく追いつめられている人だとどうでしょう。

 

苦しくても筋トレみたいに目的があればしのげるんです。ダイエットみたいに、楽器の練習みたいに、スポーツの練習みたいに。でもこの人生の逆境の先に何があるのか・・・?

 

人生ゲームの「上がり」は残念ながら死です。科学技術がいくら進歩しても変わらない共通ルールです。

 

この全体像を察知できてしまう鋭い嗅覚、頭の良さが「だったらさっさとくだらないゲームをやめるか」という思考に結びつくのではないでしょうか。

 

ところで、冒頭に自殺は愚かだと書きましたがその理由を述べましょう。それは人生に目的がある(と仏教に説かれている)からです。そして人間に生まれなければその目的は果たせないからです。

 

一般に知られている話かもしれませんが、仏教の生命観というのは輪っかのイメージです。六道輪廻とも言われます。本当の私(阿頼耶識という生命の流れ)が生まれ変わり死に変わりして六道を巡ります。

※ちなみに仏教って言葉にできない世界を言葉に無理やり表したりすることがあるので、今回の例で言えば6つの世界で教えられたり5つの世界で教えられたりします。つまり本当は段階なんて無制限にあるということなのだと思います。

 

六道(六界):6つの世界

①地獄界:最も苦しみが強い、最も衆生(≒生命?)が多い

②餓鬼界:食べようとしたものが目の前で青白い炎になって消えるような、餓えに苦しむ世界

③畜生界:動物や虫たちの弱肉強食の世界

④修羅界:争いの絶えない世界

⑤人間界:苦しみと楽しみが半々ぐらいの世界←今ココ

⑥天上界:楽しみの多い世界

 

①~④だと苦しすぎ、⑥だと楽すぎるので仏教が聞けません。⑤でのみ仏教が聞けて、そこに教えられている人生の目的を達成することができます。するとこの六道を抜け出し(六道出離)て往生成仏できます。

 

六道を回っているうちはずっと苦しみ続けるんです。「地獄に堕ちるものは十方世界の土のごとく、人間に生まれるものは爪の上の土の如し」とも説かれているぐらいなのできっと人間界の100年程度とは比較にならない多くの時間を地獄で過ごすのでしょうし、人間に生まれている間なんて川の流れにおける一つの泡みたいな儚いものです。そしてそのマシな人間界ですら我々は現に苦しんでいます。

 

だからこの六道を抜け出さなくてはならないのです。そのタイミングが人間界にしかないという、超絶ハードモードの一条件を私たちは満たしていますw

 

だからこそ、その可能性を自分で潰す行為が愚かと言われるんですね。

 


 

ここまで言うと、「まるで仏教にしか正解がないみたいな偏ったこと言ってるな」と思われるかもしれません。そう思われても仕方ないとは思うのですが、10年ぐらい聞いててこの教えが尤もらしいと私は感じているのです。

 

世間の「宗教」(という訳語は仏教から出た単語をほかのものに当てはめただけであると聞いたことがありますが)は現世利益、つまりこの世の幸福が目的だと思います。「人間関係うまくいってませんか?○○のわざで・・・」とか「拝めば心が落ち着く」とか。

 

仏教だって99%ぐらいの書籍で語られているのは同じレベルだと思います。怒りを鎮める方法とか人づきあいをよくする方法とか、つまりハウツーです。

 

ではなくて私の学んでいる浄土真宗はWhyを問題にしています。

 

たまたまこの教えから入れたのでよかったなと感じますが、結構「○○→△△→××と色々新興宗教に救いを求めましたがどれもダメでした」という人を浄土真宗親鸞会の中で見ます。

 

なんというか、最終的には確かに言語や科学で説明のつかない(それよりも絶対的なものなので当たり前なんですけど)領域の話なので「宗教っぽいやつは全部うさんくさい」と思う人はそう思うのでしょうけど、私は「じゃあ何かほかに良いものがあるか?」と返します。

 

一応仏教のゴールを記しておくと、聴聞していき、阿弥陀仏の本願によって往生一定(死ねば極楽に生まれる身にこの世でハッキリ定まる)することです。その体験は本人にしか分からないので、私にもまだ分かりません。

 

尤もらしいから聞いています。「本当か?」→本当かつ達成できたなら素晴らしいですし、嘘だとしてもほかにより良い案が無さそうなので結局聞き続けています。

 

色々頭で考えて「そんな非科学的なものは受け入れられない!」ということで頭の良い人は逆に仏教を聞けないとも説かれています(世智弁聡の難)。本当は人間(や、それが生み出した科学・言語)に真実を理解説明できるほどの智慧は無いからなのですが・・・。

 

私はそこまで頭が良くなくて良かったですw しかし、大学は田淵さんと一緒ですし馬鹿でもないはずなので狂人の戯言以上のものは感じ取っていただければ幸いです。

 

あとがき

自殺のニュースを聞くと「ああ、もっと早く仏教を世の中に広めなければいけないな」と思わされるのでついに書いてしまいました。

 

今後も何かのきっかけでこういう自分フィルターを通した世の中について語る記事を書くかもしれません。すっかり長くなりまいましたが、また次回!(このカッコ書きも含めてぴったり7000文字とカウントされました)

暴露話

アイスブレイク

すっかり前回の記事から時間が経ち、1月が終わろうとしています。

 

記事編集画面の前に座ればタイピングが進むのですが、その画面を開くまでが「なんとなく面倒」という感じでした。まあ、どんな作業・仕事にも同じことが言えると思います。

 

小話

最近仕事でひょんなことから(自分の鶴の?一声から)Webアプリケーションを作ろうという話になり絶賛作成中です。

 

物理ホワイトボードを行動予定表にしている当課。昨年夏に異動してきたときは驚いたものです。異動前の課ではイントラネット上のWebアプリケーションだったため・・・。

 

ところが聞いてみると、今の課の先輩が実はそのアプリケーションを10年以上も昔に作ったそうです。それを聞いて「うちの課にも絶対あれがあった方がいいですよ」と言ったら「作り方教えるから作ってみる?」ということになりました。

※私の本筋の仕事はクラウドインフラ関係です。プログラミングできません。

 

しばらくしてマネージャー=上司にも話が伝わり「せっかくなら実現案を募ってコンペをやろう」→「チーム分けして勉強も兼ねた開発をしよう」と転がっていきます。

 

で、件の先輩には「教える」と言われたものの私とは開発チームが異なってしまい・・・結局別の先輩に教わりつつも、ふんだんに独学しつつ作り進めています。

 

小中学校の頃、メイプルストーリーのホームページ作成に使っていたHTMLの知識のかけらと、ほぼ一からのCSS学習とを合わせることで、モックアップがだいぶ出てきました。

 

ところでなぜこんな話をいきなりしだしたかと言うと、「画面の前に座るまではやる気になれない」エピソードトークです。

 

CSSってずっと苦手でした。ごちゃごちゃしていて見づらいし、目には見えない余白をピクセル単位で指定したりしてややこしいし、IDとかクラスという概念も良く分からない・・・。

 

ですがこの2週間ほどでかなり読み書きできるようになりました。インターネットで実現したいことを調べながら格闘に格闘を重ね、実戦で学んでいきました。

 

最初は余白指定やIDとクラスの使い分けも意味が分からなかったのですが、やっているうちに見えてきました。今ではGoogle Chromeのデベロッパーツール(F12ボタン)を駆使しながらスムーズにスタイル指定できるようになってきています。

 

1人1人の行動予定をカードにして、各自アイコンを載せたり予定を書いたりできるようにするつもりです。カードにマウスを乗せるとアニメーションが発動してくるっとひっくり返って「編集」ボタンが押せたりする仕様です。

 

当初、実現するなんてまったく想像もつかなかったアニメーションやらレイアウトが少しずつ実現していくのはおもしろいですね。「要素を横並びにするのにfloat: left;は古いのか、Flexboxとかグリッドレイアウトって便利だな」みたいな発見を重ねてきました。

 

先週ぐらいまでは不慣れなCSSに気乗りしませんでしたが、それでも画面を開けば少しはひとり実験を積み重ねていました。雪山の頂上から小さな雪玉を転がして、それがだんだんと大きなかたまりになっていくかのような感覚です。

 

少しでも、何か動くのは大事なことですね。

 

本題

長くなりました。今までのが前置きです。

 

何が暴露かって、私が仏教を学んでいることです。このことはこれまで、親兄妹その他親族ぐらいにしか言っていませんでした。

 

shinrankai.jp

 

↑浄土真宗親鸞会という団体です。

 

大学1年から聴き始め、身内にすら暴露したのは3年前ぐらいです。

 

「なんだ、そんなことか」と思った方もいるかもしれません。

 

ですが世の中の目は厳しいもので、批難されることもしばしばですよ(特にインターネット)。オウム事件やIS関連の一連の事件といった凶悪な出来事がそうさせている面も多分にあります。

 

「ダミーサークル」「カルト」「反社会的」「金集め」「危険な原理主義」など。 

 

どこの者とも知らない人の発言であっても、不安を扇動されるものです。聞き始めの頃は警戒心もあって、「本当に大丈夫だろうか」と思ってインターネットを見るたびに不安になっていました。もう人間はそういうものだと思います。

 

 

情報社会だからこそ、一次体験の重要性は高いです。

 

「騙されている」と思う人にはそうとしか思えないのかもしれません。逆に「真実味がある」と思う人にもそうとしか思えません。私は後者です。

 

具体的な教えについてはホームページを見るなり個別に私に聞くなりしてください。文章として書き残すほどの体系的知識は残念ながら備えていません(根本聖典となる教行信証だけでも6巻もありますし・・・)。

 

ちなみに言っておくと親鸞会≠新興宗教です。頭についている「浄土真宗」は飾りじゃありません。そりゃあ、昭和に発足した教団ではありますが、教えの内容は浄土真宗(開祖:親鸞聖人)です。私の両親の実家がともに浄土真宗で、仏壇もありました。そのぐらい浸透して「いた」宗教です。

 

※こう言っても「独自の解釈だから新興宗教だ」とか言い出す人はいます。ああ言えばこう言うものです。「解釈」という言葉の使い方も結構難しいので、一旦置いておきます。

 

もっと歴史ある(≒世間的に名のある)ところで聞けという主張

長年人に言わずに温めていたネタなので、言いたいことはたくさんあります。母親とは月に1回あるかないかぐらいの周期でサシ飲みに行くのですが、結構バトルしてます。

 

かつて「比較のために西本願寺も聞きに行った方がいいんじゃない?」と言われて一緒に築地本願寺へ行ったことがあります。

 

がっかりな世間話・当たり障りのないイイ話が続いているのをしっかりと確認して帰ってきました。

・がっかりな世間話:その僧侶の管轄の寺ではこんな子どもがいて~地域の良いコミュニティになっている~という類の話

・当たり障りのないイイ話:何らかのきっかけで障碍を負った人が、阿弥陀仏の慈悲を感じながら頑張って生きるとかいう類の話

 

教えはおまけ程度、前菜です。まるで僧侶オリジナルの世間話をメインディッシュとして味わわせたいようでした。

 

続いて東本願寺(真宗大谷派)、というよりは大谷大学の学長の話を聞きに行きました(もはや個人特定できるのですが、まあ仕方ないですね)。

 

(上から目線のつもりはないのですが、)さすがは学長ともあって、テキストやプリントがしっかり用意されている講義形式でした。テキストは教行信証。浄土真宗においてはズバリの内容です。

 

輪読したり、解説を聞いたりしながら、まさしく大学の授業のように進みます。

 

内容は確かに高度。西本願寺とは比べものにならないほど教えにフォーカスされています。しかし高度すぎてついていけませんw

 

仏語がバンバン出てくる上に説明がややふわっとしています。「○○のありよう」とか「~~性」みたいな私の苦手な言葉がたくさん出てきて、困りました。

※学長を一方的に責めているわけではありません。仏教の真実信心の世界は親鸞聖人も「不可説」と言われるほどです。それほど言葉にできないものなのです。

 

百歩譲ってすべて学長レベルに理解できたとしましょう。

 

それで、ゴールは何なのでしょうか?

 

「この世をより良く生きましょう」なのか、「笑って死ねたらいいですね」なのか「深い教えが理解できておもしろいですね」なのか、さっぱり結論がつかめませんでした。

 

では、なぜ親鸞会で仏教を学ぶのか

比較は一応したつもりです。浄土真宗の中で歴史ある西本願寺と真宗大谷派の話は聞きました。

※正直それ以外の宗派、宗教については聞いたことがありません。が、聞くまでもないと思っています。「浄土真宗以外は聞く価値が無い」なんて、排他的に聞こえるかもしれませんが、これを曲げるつもりはありません。教えを聞いて自分の腑に落ちた結果です。

 

それを踏まえてなぜ親鸞会なのかというのが気になるかもしれません。

 

大きな相違点は「結論」です。

 

仏教を学ぶ=知識をつける なら興味のある人だけやればいいことです。

 

私は違います。というより、仏教を学ぶようになったきっかけがあります。

 

大学1年、東日本大震災により授業開始が1か月遅れた5月のことでした。キャンパスを歩いていると1人の男性に声をかけられました。

 

「大学で勉強して、就職して働いていく目的って考えたことがありますか?」

 

「いや、・・・無いですね。」

 

言葉に詰まりました。

 

産業時代の(というか今もなおの)典型的な生き方にしたがって、義務教育でもないのに高校→大学と進みました。その先・・・?

 

なんとなくSEには興味がありましたが、SEをやる目的・・・?仕事をする目的・・・?分かりませんでした。

 

「将来について考えるような勉強会をやってるんですが、興味ありませんか?」

 

と問われ、「まあ大学生にもなったし新しいことに挑戦してみようか」という気分で参加することにしました。

※悪意を持って表現すればこれを「ダミーサークル」と言います。

 

先輩に時間を取ってもらい、将来の話→哲学→仏教と、徐々に話が導かれていきます。

 

仕事して、頑張って生きていく目的とは何か?つまり人生の目的とは何か?

 

その答えが仏教にあるというわけです。

 

教えの詳しい部分は先に述べたとおり書きませんが、ここでしか聞けないものがあると思っています。人生の手段(どんな仕事をして、どう生きるか)はたくさんありますし、指南書もたくさんあれば指導者もたくさんいます。

 

ところが人生の目的(なぜ生きるか)の指導者は雨夜の星なのです。藤村操が自殺したのも、芥川龍之介が自殺したのも、この人生の目的が分からず苦しんだからです。

 

結論を述べましょう。「人生の目的があり、それを達成するには浄土真宗の教えによるしかなく、そのことを教えている教団が現状親鸞会しかない」から親鸞会で聞いています。

 

あとは↓こんな↓相違点もあります。

・教え100%:「今年は暖冬ですね~」などの世間話が一切なく、「今日は親鸞聖人の○○というお言葉について・・・」で始まる。根拠(教行信証や御文章、大無量寿経など)が逐一示される。

※時折軽いジョークは挟まれますし、時事ニュースを例に仏教を解説されることもあります。

・老若男女、多国籍の人が聞いている:東西本願寺では9割5分お年寄り。親鸞会も高齢者は多いが、20代も30代も普通にいる。中国、香港、ブラジル、イギリス、アフリカ大陸などからも聞きに来る人がいる。

 

以上のような理由から、「ここでしか聞けない大事なことがある」と思っているわけです。だから本部のある富山県までお金と時間をかけてでも毎月行くのです。

 

正直まわりと比べて生活面ではしんどいです。が、稼ぎを上げるしかないと感じています。

 

親鸞会にはものすごくできる人がたくさんいます。社長や会計士・医師・弁護士がゴロゴロいます。人生の目的を知った人は活力もあるのだなと思います。見習って頑張るしかありません。

 

というわけで、9年ほど隠していたことですがそろそろ面倒にもなり暴露してしまいました。せっかくなので口コミでどんどん広めてください。

 

小話2

構成を練らずに書いたので散漫としていてすみません。

 

ところでちなみに「法鼓(ホウク)」という言葉があるそうで、意味は「仏法。仏法を説くことを、戦闘での進軍の太鼓にたとえ、法鼓をたたくという。」(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B3%95%E9%BC%93/#jn-204483)だそうです。

 

これは・・・仏法ドラマーとして頑張ります!

 

※ネット検索でたまたま発見したものであり、法話では一度も聞いたことのない単語ですw

2019年簡易振り返り

すっかりご無沙汰しております。ホウクです。

 

もはや記事の書き方すら忘れてしまうほどです。

 

12月いっぱいでドメインの契約も切れ、URLが「https://houku.hatenablog.com/」に戻ってしまいました(自動更新により、はてなproは継続となってしまいました・・・散財です)。

 

せっかくなら何か書こうと思い、PCに向かっている次第です。

 

そろそろここらで言っておくか!という暴露話と、昨年の振り返りをしてみます。

※と思ったら振り返りだけで長くなりすぎたので、暴露話はまた今度。

 

2019年振り返り

まずはCM的にこちらを。軽いのから行きましょう。でも必然的に暴露話も含まれるかもしれませんw

 

1~3月

2月には人生2度目のスイス旅行に行っていましたね。あれからまだ1年経っていないのかと驚くほど、昔のことのようです。

 

3月中旬は会社の元同期に誘われて、レンタルクロスバイクで奥多摩に1泊するという小旅行をやっていました。

10年ぶりくらいに乗った自転車でいきなり片道65㎞ほど走るなんて・・・今思うとなかなか無茶です。

はじめて会う仲間だらけだったのにとても楽しくて、それがきっかけで翌月ロードバイクを買うことになるとは・・・!

 

3月下旬はTwitterでDMもらった方とお会いすることに。これまたなかなかチャレンジングでした。

結果、当ブログをやっている話になり、「ライティングのことを学べる場所がある」とのことでWebライティングスクールの主催者を紹介してもらいました。

高校時代からの友人の影響でブログの収益化にも興味があったので、後日スクールの主催者(同い年!)と会ってみました。

そのまま流れるように入学金38万を支払い、晴れて入学となるのでした。

 

・・・しかしながら最初の資料読み込みだけ終えて実際に記事を書くには至らず、今のところ籍は置いてありますが38万円寄付したような形で今に至ります;

※私のやる気がなくなっただけで、スクール自体は素晴らしいところだと思っています。ある程度決まったテーマについて記事を書くと、知識のある方に添削してもらえるようです。20記事書いたところからは報酬も文字単位で発生するので、本気でやればちゃんと結果が出せるはずです。

 

4~6月

4月にロードバイクを購入しました。17万円ほどしました。グッズ合わせると20万円は超えています。

納車翌日にはまたロードバイク仲間と日帰りサイクリングへ。多摩湖を目指して行き、多摩湖一周して帰ってきました。3月にレンタルしていたバイクが、みんな軒並み自前のものになっていたのは笑いましたw

 

IT関連ではエンベデッドシステムスペシャリストを受験、6月には見事合格が発表されました。

 

そして誘われるがままに新しいバンドを大学時代の友人と組みます。なかなか色濃い4月です。

 

GW中は、20人規模で飲み会を開催しました。ホウクの友人大集合という感じで、不思議でしたがおもしろい会でした。

 

6月は、結成から10年が経つ高校時代のバンドで5年ぶりにライブをやりました。やはり色んな人に見てもらえることは嬉しいですね。

 

その翌日は10年以上ぶりにディズニーに行きましたw 小雨が降っていましたが、おかげで空いていて楽しめました。

 

それから6月中旬は妹・鳥取に住む父と一緒に静岡旅行へ。

※父母別居(互いに関東圏)→祖父介護のため父が鳥取移住→父母離婚・祖父他界で今に至ります。

 

7~9月

6月下旬に声がかかり、7月には異動しました。仮想化→クラウドの部署へ変わりました。

正直前の部署では通常業務に慣れてしまい、冒険が少なかった感があります。

自分で勝手に生み出した仕事をやって、楽しんでいました。

だからこそ、「そろそろ新しいところへ行ってみるか」という気持ちになれたのだと思います。

しかしながら部署の都合で労働形態が裁量労働→時間給と変わってしまい、月収で5万円ほど落ち込みます・・・。

 

そしてこの7月、初めての街コンへ出かけました!最初は勝手が分からず緊張していましたが、知らない人でも普通に会話すれば楽しめるのだなと学びました。

 

8月上旬は第2回、20人規模の飲み会を開催しました。たしか1人も第1回とは被っていなかったと思います。

違うコミュニティの人同士が話し合っていたのはとても良かったです。

 

私としては珍しいですが夏らしく、花火大会にも行きましたね。

 

8月下旬は、200人規模の運動会に参加しました。リレーがとにかくきつかったですが楽しかったです。

 

異動で伸びた通勤時間に限界を感じていた9月、新居探しを始めました。

だいぶ経験値が積まれており、今の家は半ば直感的に選びました。月8万円で会社徒歩5分の、江東区民です。独立洗面台と(少しの)築年数を手放したら快適な生活を得られました。

 

9月中旬は仲の良い友人と2人で雨の中、ロードバイクで三浦海岸へ。結構体力がついていたのか、友人を坂道で引きはがしまくったのを覚えていますw

途中、1度ヘルメットの位置調整中にバランスを崩して落車したときに右腿を打って、後に大きな痣を作ります。大事に至らなくて良かったです。

帰りは日も落ちてしまったので逗子駅から電車で輪行して帰りました。70㎞ほどのライドだったと記憶しています。

 

10~12月

10月上旬、人事で昇格が発表されました。勤続5年目にしてようやく(今置かれた立場上は最短ルートなのですが)役職がつきました。

ですが7月の異動で減った分の月収は取り戻せず。昇給が月2万円ほどでした。

 

下旬には高校時代以来のバンド仲間の結婚式へ。ささやかながらお祝いができて、懐かしい同級生にも会えて、素晴らしい会でした。

実のところ友人の結婚式参加は初、ポケットチーフとかクラッチバッグとか持っていなかったので欲が芽生えましたw

 

それから2週間もして11月に入ると、今度は大学のサークル仲間の結婚式です。ラッシュを肌で感じます。

こちらはバンド演奏もあり、ポケットチーフ、普通のネクタイ、蝶ネクタイ、クラッチバッグ(FREITAGのMacスリーブ)を揃えて臨みました。やる気ありまくりです(その前は知識が無かっただけで、めでたい気持ちに変わりはありません!)。

 

11月は、1年ほどずっと気になっていたワインパーティーにも参加してみました。参加費9000円ですが、想像以上のワインのラインナップには驚かされっぱなしでした。

熟成ワインの味の深みに驚きながら、中学以来の塾の友人にバッタリ出くわして驚きながら、楽しみました。参加して良かったです。

 

12月はバンド仲間&ボーカルの奥さんを家に呼んで、6月から漬けていた梅酒を飲む会をやりました。ボード(?)ゲーム、カードゲーム、焼肉、梅酒・・・ユートピアでしたね。

ボーカルの書いた歌詞に私が曲をつける、という遊び(?)をやり始め、今結構形になってきているところです。

 

そして月末には高校時代の友人たち(1人は初めまして)と飲み、彼らの組んでいるバンドに参加することに・・・!?サポートなのか分かりませんが、また新しいバンドが始まってしまうかもしれませんw

 

30人規模の飲み会もやりました。最初は「関西」をキーワードに人を呼ぼうと企画したのに、意外と関西人が少なくて途中からフリーテーマになりましたw

 

冬用のロードバイクウェアを買う前、普通のユニクロの部屋着で50kmほど荒川を走りました。

まあ何とかなったんですが、身体が冷えて大変な状態で走り終えた後日、ウェアを買いに行きました。

頭の中で予算を3万円に設定し、足が1000円ほど出た感じで買いそろえました。サイクルジャケット、レーシングタイツ、フェイスカバー、靴下、厚手のサイクルグローブ、montbellのインナーです。

年末に川越まで往復100kmライドをこなして来ました。自宅から街を抜けて荒川に出る、というのも含めて計測したにもかかわらず平均時速が20kmを超えたのは成長を感じられてうれしかったです。

 

まとめ

振り返ると「これも2019年か」と思うほど濃い1年だったように思います。

 

一番の心残りは昨年の目標「体重65kg」に近づくどころか大きく遠ざかったことです。

67kgくらいでスタートして、いろいろあって食が進みに進んだ結果、現在73kgくらいまで成長しています。

※病気になる前ぐらいまで戻ってきました。

 

多分食に走りすぎなので、健康本をもう一度読んで触発され、適切な食生活に戻せば減るのではないかと思っています。

これを減らせばきっとロードバイクも軽快に漕げるでしょうし・・・やるしかないですね